なぜか会話のうまい人たち 荒木創造 
[2006/06][2010/10]
 
この前、会社の新人教育の後に、新人の飲み会に参加しました。大体、そういう飲み会ではタイプごとに分れて固まることが多い。「大学時代に女の子と縁の無かったグループ」か、「女の子と楽しくやってたグループ」か、そのどちらかに「若井さん、こっちこっち」って言われることが多く、あんまり普通のグループからは呼ばれないんだけど。。

その飲み会では遊んでるグループに呼ばれた。そんなタイプは飲んで話す前に髪型やファッションや口調で分るもんだよね。彼らとは「じゃあ女の子たちは先生の周り囲んで」「おいおい、そんな気使わなくていいから。女の子は少ないから、皆なるべくばらけて」ってな会話から始まった。やっぱりなぁって思った。

別に縁の無かったグループと一緒にいるのも苦じゃないけど、楽しくやってた奴らの方が会話は楽しい。こちらから話題を提供しなくても自然と会話が進んで行く。チャーリーの所でナンパについて書いたけど、ナンパした事ない男ほど、「顔で決まる」と思ってる。けど、それは違うよ。真近で見てきたから良く知ってる。顔が全く関係ないとまでは言わないけど、やっぱり一緒にいて楽しいか?or 心地よいかどうか?であって、それには会話力:コミュニケーションスキルが一番大切です。


「そういえば先生。この前講座に来てた、営業のあいつ、百人切りって噂があるんですけど」「おまえなぁ、ホントに百人切りに会ったことあるのか?言っとくけど、3桁行こうと思ったら根本的に違うんだぞ」 このHPのことは話さないから、Soulコンプレックスの事は言わなかった。けど俺がSoulコンプレックスを感じる位に過去の名曲を気に入る。そんな同性も納得してしまう人間的魅力を持ってるのが百人切り。「君をさ、みると、うーん、努力してきたのはすげーーわかる。けど、そこまで成果でなかったでしょ (笑」「えーやっぱり分ります??」という風に口調は柔らかくなったが、相変わらずズケズケ言うのは変わってない。 「あのな、百人切りぐらいできるやつってのは、自分から話題を提供しない。相手の話題を膨らましていける。そこが一番凄い「うーん、僕は高校時代から話題づくりのためにドラマとか見てたけど、それは違ってたですねぇ」

「飲み会で新人と一体何を話してるんだっ」とツッコミ入りそうですが、こっち系の人たちとはこんな感じかな。で、数日後にちょっとそういう本でも読んでみようかなぁという気分になった。大学時代は趣味が偏りすぎて、最初の軽めの話題が苦手だったから、そこら辺がちゃんと書いてある本が欲しかった。今でも苦手だから。そもそもずっとそんな話題のネタを集めることを「時間の無駄」と拒否してきたからなぁ。だからこの本を読んで凄く感動したんですね。いいタイミングで、いい本に出会ったと感じる。欲を言えば、大学時代に読みたかった。


親しみレベル

最初の言葉といえば、たいていはとても無頓着になされる。よく「どうも、どうも」などというような意味のないことが言われるのである。そんなことを言いながら、私たちは笑顔を見せたり、頭を下げたりするのだが、実は言葉そのものより、笑顔や頭を下げた角度などの方が重要なのだ。どんな笑顔を見せ、どんな風に手を振り、どんな風に頭を下げ、腰を低くするか、そのあたりのことがとても重要なのである。実際のところ、特に最初の段階では言葉の内容にはほとんどないのである。


また特に若い男性に多いかもしれないが、ある女性と初めてデートしたところ、自分はお互いのもっと深刻な話をしたいのに、女性の話がずっと軽い話に終始するので、「なんでこんなに軽薄なんだろう」なんて思って、がっかりしたり、憤慨したりする人もいるだろう。女性はまずもっと慣れ親しんで、安心したいと思っていて、同時にその間に相手の人間性を探っておこうと思っているのが分からないのである。女性のこういった気持ちを分からない人たちはだいたいがいわゆる生真面目すぎる人だということになるのであるが、生真面目すぎる人というのは、この「親しみレベル」の会話の本質が分かっていないのである。あるいは、理屈では分かっていても、これらの会話のいい加減なところが生理的に嫌いで、うまくついて行けないのである。

うーーん、「これらの会話のいい加減な所が生理的に嫌い」というより、「人間性なんてもっと別の方法で分かるでしょう」って思ってたんだろうなぁ。この「親しみレベル」の会話を全否定して気がするや。だってね、数年に一回はこのレベルをすっとばして深い話が出来る女性と出会える。ストーンってくるんだよね。あのストーンさは一度味わったら、このレベルの会話が人生の無駄と思えるぐらいになる。けど、そういう相手ほど喧嘩して一気に行くってのも確かなんだけどね。。素直言えばそういう事実に気づいて初めてここら辺を気にしようと痛感した。


会話の流れが流れていく様子を学び取ろうと努力してみることである。この会話の流れが分かるようになり、つかめるようになれば、流れに乗っていくことはむずかしいことではない。そして、そのうち流れに乗っていくことに慣れてくれば、流れから一人で降りることも流れの方向を変えることも簡単にできるようになる。

この喩えは上手いと思う。これを二十歳前に読んでれば、もっと苦労せずにすんだ。あの頃なんて、周囲の会話を「この話題も知らないなぁ」とか思ってて、たまに話題が音楽になったら、許容以上に喋って相手が引いてた。その場ではそれに気づかなくて、家に帰って反省してる。そんな感じだった。

今のイメージで言うと、皆で円になってリフティングをしてる感じかな。相手からサッカーボールを渡されたら、自分の膝で何度かタップして、別の誰かに渡す。相手が取りにくい球でパスしちゃいけないし、自分であまり抱えすぎてもだめ。そのバランス感覚なんだよね。そう言われると凄い当たり前のような気がするが、その当たり前が出来ない人はそこそこいると思う。自分もそうだった。


相互理解・協力レベル

この「相互理解・協力レベル」の会話が上手く行き、お互い自分にとって重要な話を充分にすることができれば、その人たちは友達同士になる。友達とはこのレベルの会話をよく交わした者同士のことであって、いくら「親しみレベル」の会話を交わしたところで、それではまだ知り合いでしかない。同じ事が恋愛についてもいえる。

「親しみレベル」がいい加減で、不正確で、不誠実で、ただ自分は相手に敵意はないし、なんとなく好意をもっているということを伝えようとして、友好的な雰囲気を盛り上げるために存在しているのに対して、この「相互理解・協力レベル」はなによりも正確さと誠実さが求められるからだ。

自己を飾る人はどうしても誠実さが弱くなるからなかなか出来ないと思うけど、そうじゃない人は問題なくクリアできると思う。親しみレベルではある種のテクニックが必要だけど、このレベルは相手の尊重と誠実であって、それは接する態度の問題でしかない。遊び人タイプほど、苦手な部分なのかもね。

ただ、自分が持ってるネガティブな事をあまり言わないようにしてる人は、友達以上にはなれない気もする。友達から恋愛までの距離が短い人は、自分が持ってるネガティブを、相手が許容できる形で言えるのが上手い。「こんな俺だから君しかいないんだ」みたいな説得が上手い。だから、ネガティブを、それが生まれた原因まで遡りながら(あまりやると言い訳が強くなるので注意)、相手に伝えるスキルが必要だね。


自己主張・批判レベル

なぜ「自己主張」と「批判」を並べたかと言えば、自己主張するということは、たとえ名指しにしたり、名指しはしなくても、かならず誰か他の人を批判していることになるし、反対に誰かを批判するということは、かならず自己主張をしていることになるからである。読者の中には、今でも自己主張することや批判をすることをあまりよくないことと考えていて、できることならそういうことは避けるべきだと思っている人もいるかもしれない。


相手の気持ちを害さないで、あなたの主張をする時に使えるとても便利な言い方がある。「自分が正しいかどうか分からないけど、私はこれこれこう思うよ」とか「私はこういう意見だけど、なにも自分だけが正しいと言ってるつもりはないよ」とか「私はあなたが言うこととは反対のことをよく聞くけど、たまたま私のまわりには違う立場の人が多いだけかもしれないね」


人前で自己主張したり、誰かを批判したりすることができない人にまず言いたいことは、「まだキミは大人になっていない」ということだ。「自己主張・批判レベル」の会話を人前でもそれなりに展開できるということは、自分の考えを持ち、それを表明することができ、そして自分の行動に責任を持てるということだからである。だから、「自己主張・批判レベル」の会話力を身につけるということは、大人になる努力をするということと同じなのだ。大人になるにはそれなりの覚悟と勇気が必要であるように、「自己主張・批判レベル」の会話力を身につけるためにも覚悟と勇気が必要である。では、この覚悟と勇気はどこから来るかと言えば、人は自分以外の全ての人と仲良くしていかなくても充分生きていけるものだと悟って、よりよく生きていくためにはむしろ個人としての自由と自己主張をしなければならないのだという認識を持つことである(この当然の認識こそ、大人への第一歩である)《中略》つい過度の自己主張や批判をしてしまう人はこの認識がどこか欠けていて、心のどこかで自己主張や批判を自分自身にとっての密かな目的にしてしまっていることがあるのだ。

この部分が深い。かなりうぉぉーと思ってしまった。まず、「自己主張と批判が並ぶ」という指摘。言われてみれば当然だけど、結構びっくりした。普通と比べれば主張が強いHPを書いてる身としては「あんたは批判してるんだよ」と言われたら、Noとは言えないなぁって読みながら思った。実際の所は批判してるよりも「そのスタンスは本当に楽しい?本当に後悔しない?適度な満足集めてるだけじゃないの? いや、俺はこれを選んでるって胸はれるなら、尊重するけどさ」っていうぐらいかな。えっ、喧嘩売ってる? そうかなぁ、、

「大人になってない」と断言するところに惚れた。ついつい下線を引いてしまったです。「俺は大人だから主張も批判も控えてるんだ」という意見もあるかもしれないけど、それは違うよ。「相手のために主張をしない」のは正しい。「できない」のは問題外。まるで子供に対して怒れない親みたいなもので、怒らなくちゃいけないポイントって絶対に存在するんだよね。


この本では次に「創造レベル」と「自己満足レベル」が来るんだけど、あまり引用してもなんなので、気になる方は買って読んでみてください。
ただ、この部分は凄い

でも時々、初対面のときから、気取りも嫌味もなく、いやにゆったりと話をし、こちらもゆったりさせてくれる人に出会うことがある。《中略》 そういう人たちの話し方や内容を観察し、思い出してみると、興味深いことに気づく。いったい彼らがなにを話していたのか、ほとんど思い出せないのだ。

ただ、勝手に何か喋っているだけなのである。その喋る様子を思い返してみると、そういう人は相手の方を凝視するようなことはない。視線はいつもどこかにぼんやりと向けられているけれども、何かをじっと見つめるということはなく、誰かに声をかけられたら、いつでもその声のする方にすっと向けられる状態にある。

顔に漂っているのは、たいていが笑顔になる一歩手前の柔和な表情であり、誰かに声をかけられたり、誰かがなにか冗談のようなことを言ったら、すぐにでも満面笑みとなりそうな感じである。話すテンポは幾分ゆっくり目で、話の内容はどうってことないことなのだけれども、もう少し具体的に言えば、自分自身のちょっとした体験であることが多い。

《中略》まあ、そんなどうでもいい体験を半分まじめに、素直に話すのである。あまりいいことを話しすぎると、自慢話になってしまうし、あまり嫌なことはグチ話になってしまう。その中間の、ほとんど印象に残らない自分自身の体験を話すのである。


《中略》もちろん、自分の独特の考え方とか、趣味の深さなどについては話さない。仕事によってはある程度自己宣伝もしておかなければということもあるので、時には、幾分詳しく自分の顔の広さとか、華やかな実績について話すこともあるが、あくまでもさっと触れる程度で、またすぐにでもどうでもいい話題に戻るのである。

ここで重要なことは、相手の人が自分の話に興味をもっているのか、あるいは本当に自分の話を聞いているのかということはほとんど気にしないで、相手が話し始めるまで、なにか言いつづけているということである。そして、相手が話し出したら、別段興味がなくても、興味深そうにさっと目を向けるのである

まるでそんな人の表情が浮かんでくるような文章で、親しみレベルの会話の凄いお手本になると思う。これも若い時に読みたかった。特に下線を引いた部分の凄さ。

@笑顔の一歩手前の柔和な表情
A自慢も愚痴もしない。自分自身のちょっとした体験を話す。独特な考えや、趣味の深さは言わない
B相手が何か喋るまでの間を、上手に持たせる。相手が話しだしたら、聞き役に徹する


確かに、これが、黄金ステップなんだろうね。


本の後半部分は個別の事例に対する対処方法です。興味深いタイトルを抜き出してみました。

・自分の意見が言いたいのに、いつもタイミングを逃してしまう

・人を批判することができない

・はっきり自分の意見を言い過ぎていじめられた

・異性となかなか親しくなれない(初対面でウケない)

・最初の印象はいいけども、デートがうまく行かない

・恋愛関係には入るけど長続きしない

ということで、久々に深みを感じた本でした。


根本的にどうすればいいか
私自身の意見も書いておきます。

根本的には会話が上手くなる必要は特に無いと思ってます。けど、相手が異性であれ、仕事関係であれ、相手との雰囲気をいい方向にもって行けないと、人生は色んな意味で貧しくなるとは思う。その為にはある程度のテクニックというか、この本にあるようなレベル認識と、レベルごとの対処方法は知っておいていいと思う。けど、もっと根本的なことがあると思う。

いい微笑を浮かべながら、相手の振ってくれた話題には最大限頑張る。
それだけでなんとかなると思う。口の上手さが本当に生まれつきなのかどうかは分らない。個人的には違うと思うけど

いい微笑が何処から生まれるかは、
・自分自身の事で、どれだけ問題点を認識してるか
・それを指摘された時に、どれだけ「そうなんだよねぇ、知ってるんだけど、なかなか治らなくてさ」と言えるか

だと勝手に思ってます。誰でも奥の方に一つや二つぐらいは、他者から指摘されると苦しいことがある。

@それを隠して見ないようにしてる人
A気づいているけど指摘に対して防御してる人
B指摘を穏やかに受け入れる人

この3者に分れると思う。2番目は真面目な男に多い。「若井さんに言われたことは、俺だって分かってます」というんだけど、「それ以上、ビタイチモン喋るな」って雰囲気なんだよね。せっかく気づいているのだから、後1歩なのにね。惜しいなぁって思う。

「うん、自分でも分ってる。なかなか治らないんだよね。。言ってくれてありがとう。君と一緒だったら直していけると思う」って答えれば、それだけで恋愛の扉が開くのにね。そんなもんだよ恋愛は。顔のつくりじゃない。って、本当は「なかなか治らないんだよね。言ってくれてありがとう」の《相手から視線を外しての笑顔》、「君を一緒だったら直していけると思う」の《相手を見詰めての笑顔》、その二つが大事であって、この言葉を棒読みしても意味無いけど・・・。視線を外しての笑顔が苦手な人が多い。

ということで、これが根本だと思ってます。


日々の生活における改善としては、「自分がお客の立場の時に、どれだけ店員さんに気を使えるか」だと思う。お釣りを貰っても黙って財布に入れる人は、どれだけ頑張っても最後は破綻するよ。友達や恋人に優しいのは当然なんだって。自分がそこまでしなくていい相手にどう接するか? ファミレスじゃなかなか言わないけど、寿司とか食べに行ったら、会計する時に「ごちそうさま」って言うでしょ。「感じのいい人」ってのはそういう細かい事の積み重ね。

[追加]

しまった、大事な事を忘れてた。。確かに世の中には、可もなく不可もなくある程度出来上がってて、そこまで奥の方に問題点が無いような人もいる。今まで賞賛されたことも貶されたこともなくて、殆どの分野で平均点ぐらいを持ってるような人。周囲にもいるけれど、付き合っても浮気もしないだろうけど、あんまりモテナイんだよね。個人的にはお買い得と思うんだけど、恋愛で凄く傷ついた人以外の誰にとってもKeep状態にしかなれないような・・・。

そんな人に、この本にように「君は大人になってない」というように、正面から言うのならば、「君はチャレンジしてない」になるんだろうね。

「本気で打ち込めるものなんて無い」って反論は、「まず最初に探すべき」っていう大前提を知らず、人から与えてもらおうとしている態度が根本的に間違ってる。本気で探していれば、現状で見つけていなくても魅力は生まれるよ。

最近、本を書いてない岩月教授の何がいいって、「男の子は冒険する必要があるんです。女性は基本的に冒険が苦手な性なのです。だから男の子は冒険しなくちゃいけない。まるでスタンドバイミーで線路をずっと歩いていったように。確かに現代は冒険と言われること自体減ったかもしれないけれど」(大意は会ってるハズ)ってコメントだから。

そうやって打ち込んでいれば、どうしたって程ほどのラインで丸くまとまるなんて出来なくなるから。もっと凸凹してくると思う。恋愛はその数歩先にあるんじゃないかな。


その三桁の友達はビラ配りとかのバイトもしてたけど、「若井、知ってるか?ビラを貰ってもらうと思ったら、男はチン○の前、女性は胸の前にビラを出すんだ。そしたらとっさの防御反応で手に取っちゃうから」 ホントかよぉぉと思ったけど、その理論のアホぶっ飛び具合が気に入った。誰かから教えてもらったかもしれないけど、あいつなら自分自身で生み出すだろうね。そういうオーラがあったから。幾ら浮気が不安でも、やっぱりそういう魅力の男性を選ぶ女性の方が多いのかもね。(ちなみに三桁行こうと思ったら、確かに顔の作りのウエイトも大きいね。彼もそうだった)

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