顔面神経麻痺と表情
[2003/10]

当然、在る事って、、、無くなってみて初めてその価値が分かる。

自分にとっての表情もそう。18の頃に顔面神経麻痺になって無くなっちゃった。ストレスの表出形は遺伝的要素で決まる面が大きい。不眠症になったり、消化不良になったり、肌が荒れたり。人の体には、何処か普通よりも弱い部分があって、やっぱりそれは遺伝すると思う。うちの家系の顔面神経が弱いことは、とやかく思ってないです。祖母の従兄弟も叔父さんもなったから、そういう形で出てくるのだと思う。たとえば脳卒中になりやすい家系ってのが分かっているとしても、「そっか・・・」以上は言えないと思うから。


1996年の晩秋のある日、夜に飲んだお茶が凄くしょっぱい味がして、変だなぁと思った。普通に寝たんだけど、朝起きていつも通り顔を洗ったら、おもいっきり水が目に沁みた。よくよく見たら、右半分が全く動かなかった。

その時は、「まあ2,3日すれば直るかな?」ってそこまで気にしなかったんだけど、午前中に友達が遊びに来て、「おいおい、大学の保健室ぐらい行った方がいいぞ」って言われたので、行ってきた。そしたら「今すぐにでも病院に連絡とるから、見てもらってきなさい」って言われて、もう午後で診察時間外なのに電話していただいた。午後のがら空きの病院で数分間 診察したら、「危険な状態だから、今すぐにでも入院してください」と言われてしまった・・・

なんでも耳の奥で神経が切れたから、耳鼻咽喉科だとの事。「おおげさだなぁ」って思いながら入院したのだけど、どれだけ日にちが経っても一向に回復しなかった。手術をすると耳が聞えなくなる恐れがあるらしく、できる事はステロイド系の薬を点滴するだけだった。最初は1日数時間だったのだけど、直らないからどんどん長くなって、しまいには朝の5時に起こされて、夜中までずっと点滴してた。もちろん寝る時はテープで目を閉じた状態で固定して寝てた。

副作用があるから長くても2週間以上は点滴できないらしく、「それで直らなかったら一生そのままです」と言われた時はさすがにまじかよ、、とは思った。。最後は苦肉の作で、顔面の血流を良くするとかで、数回、首に麻酔を太い注射で打たれた。あれはさすがに痛かった。打ったら打ったで、酔っ払ったみたいに顔が赤くなるし、そのくせ何も変わらない。

「とにかくリハビリしなさい」との事で、鏡を見ながら色んな表情を作ってみた。けど、見事にどれも全く動かない。極端な半分ずつを眺めてると、自分の顔とは思えなく、かなり落ち込んだ。

ストレスは確かに自分自身のせいとはいえ、こうなっちゃったのは、さすがにあんまりだと思った。せっかく友達がお見舞いに来てくれても、どんな表情も出ない。感情と顔の表情って直結してるのに、意志的に止めれないモノなのに、それが切れてる。

だから、

「あれ?今、自分は、《笑い》を感じたの・・・」  

こんな事になったのに怒ろうと思っても、
「あれ?今、自分は、《怒り》を感じたの・・・」

当然すぎる感情さえ分からなくなってきた。

たかが表情が無くなっただけで、どんどん世界は灰色になっていった。5日も経てば、かなりヤバイ状態にいるのを痛感してた。顔の右半分を”のみ”で削ってコンクリートで詰めたような感覚で、瞳孔が閉まるような条件反射さえも出来ない部分は、どうしても自身の一部とは思えなかった。囚人に手枷・足枷がついているように、顔半分に鉄球がぶら下がっているような感覚は《顔枷》としか表現できない。

でも、そこで、やっぱり前を向いていたんだよネ。


たとえ、全く表情として表現できなくても、
絶対に心の動きは何処かに現れているハズだから
それをどうしても見つけなくちゃ
そしたら、自分は感情を失う事を止めることが出来る


その果てで、自分は何かを見つけた。それは未だにちゃんと言葉に出来ないです。ただ、感情と表情の間に何かがある。空気の揺らぎとでも言えばいいのかな? ホントに「ふっ」と揺らぐんだよね。表情の寸前に。空気の色が変わるとでも言えばいいのかな? もちろんその揺らぎはすぐに周囲に押し返されて普通の状態になっちゃうんだけど。それを見つけた時、「この先、直るかどうかは分からないけど、自分はなんとかやっていけるだろう」って思えた。


耳の奥で神経が切断されると、元々あった顔の神経は全部死ぬ。神経も細胞の一種だから、栄養が回って来なくて死ぬらしい。そんな状態で退院して、、、その先、少しずつ神経が新たに生え始めた。それも顔面神経麻痺の経過らしい。そして神経がくっついちゃって、目を閉じると口が動いて、口が動くと目が閉じるようになっちゃう。神経が死ぬ前に復活すればいいらしいのだが、全部、死んじゃうとこうなっちゃうらしい。

あれ以来、笑う感情が出たら、とっさに俯いてた。"笑顔"というよりも、"よじてる"って状態になったから。いや、真正面から見詰めれば《奇怪》というべき状態だろうね。やっと笑顔らしくなったのはそれから2,3年後かな?今でも笑う時に俯くクセは残ってる。完全に治ってないからしょうがないのかも。

山形に赴任して麻痺になった祖母の従兄弟は、大正時代で治療法も無く一生全く動かなかったらしい。地元の和歌山に帰って、一生結婚できずに死んだと聞いた。北陸出張で麻痺になった叔父さんは、顔は完全に治ったけど、片耳は聞えなくなった。自分は4年経過して、注意して見ないと分からない程度には直った。今は事故で顔面神経麻痺になった北野武と同じ位の違和感かな。「言われたら、分かるねェ」って最近は言われるから。未だに右半分を動かすと耳鳴りがするけど、そんなもんでしょう。


あれから7年。振りかえってみると、やっぱり糧になったと思う。表情は抑える事は出来ても、嘘はつけないしね。抑えても出る部分を感じれるようになったから、あれ以来、会って悩むことは無くなった。目が見えない人がその分だけ 耳が鋭くなるようなもので、

人というモノは何かを失っても、そこで前を向いていれば、別の何かが手に入るのだと、今は思う。
もしあの時、俯いて下を向いてばっかりだったらどうなってたのか・・・恐ろしくて考えられないです。どうにかなっちゃってたとしか言えないや。



1日12時間の点滴の中で、窓の向うに蔵王が見えた。
どんどん色が抜けていく病室にいて、
蔵王の夕焼けだけが赤かった。


今でも、仙台に行くと、どうしても病院に行っちゃう。そこで何度も眺めた風景をぼんやり眺めてる。色んな事が無くなって、そして何かを見つけた。そんなのを確認するために。顔面神経麻痺は、色んな意味で今の自分の原点だから。卒業間近に友達の後輩が顔面神経麻痺になったのを聞いた。やっぱり一定数はいるもんなんだなぁ、、、って思ってた。



「感情は、表情というリフレクションがあって、初めて存在する」
「恋愛は、相手の表情というリフレクションがあって、初めて存在する」
「感情と表情の間には、何かが存在する」


麻痺以来、動かない顔を見せるのが嫌で、人と会うことを避けるようになってた。こんな顔で恋愛なんて、逆さにしても有り得ないと思った。

けど、数年して、初めて恋愛でも効果が出てる事に気づいた。恋愛って「相手の考えていることがなんとなくでも分かる」からこそ始まり、「相手の考えていることが分からなくなった」からこそ終わる面も大きい。その中で相手が無口な状態でも、相手の状態がなんとなく分かるっていうのは凄い利点になるから。麻痺になった時は、この先、一生恋愛は無理だろうと思ったけど、今となっては正負イーブン、いや、プラスの方が大きいと感じてる。


顔面神経麻痺になった人は、真正面から向き合えば、きっとこの空気の震えが分ると思うよ。だから、頑張ってください。応援してます。


退院した後、年末に実家に帰って親友達と野間海岸に行った。
オレンジと青のコントラストが美しい冬の海岸。今でも壁紙で使ってます。

今年の四月に仙台に行った時も、病院に行ってました。屋上でとった写真です。奥に見えるのが蔵王。天気が良くてハッキリ見えて、嬉しかったです。
[2006/05]

麻痺になって2年目ぐらいでやっと恋愛ができて、それ以来、麻痺の事は少しずつ意識から薄らいでいった。笑顔を笑顔と受け取ってもらえたから。直った方がイイとは当然思ってたけど、麻痺になったことによるマイナスよりも、トータルとしてプラスの方が多くなったと思い始めたから。


僕らは顔を見ているようで、本当は表情を見てる
僕らは表情をみているようで、本当は体全体を包み込む雰囲気を見てる


だから麻痺が治るかどうか気にし過ぎるよりも、麻痺に負けないような明るい雰囲気を見つけて欲しいと思ってます。それは凄く辛くて大変な道だけど、麻痺と真正面から向き合えば、絶対に見つけれると思うから。


こんな風に言ってても、実は麻痺になって以来、何度も麻痺が目立たない角度の写真を自分自身で撮ってました。最初は病歴を残すために撮り始めたのだけど、そのうち「いかに麻痺を隠してカッコよくとれるか?」に目的が移ってた(汗 だから本当によじれた状態を正面から取れるようになったのは、病気後の3年後ぐらいかな。


今年の秋で麻痺から10年目。ひょうなことから鍼灸院を知って、通ってみたら確かに効果があった。お灸をする場所を調べるために検索したらBBSを見つけたんだよね。

そこに書いてあった切実感を読んでたら、久々に昔の感覚を思いだした。だから僅かにでも参考になればと思って。

初めて麻痺したときは大泣きもしたし、その泣き顔を見てはまた泣いて。でしたが、3日ぐらいしたら開き直ってしまい、写真とったりしちゃいましたけど・・・ そんな自分を受け入れるしかなかったんですかね・・
この歪んだ顔の写真は残す勇気はないですね。 ○○さんとは逆で、元の顔の写真を見ることが 私は多くなりました。(現実逃避でしょうか?) マスクを手放せないでいます。マスクしてたら友達とも会えます。 一緒に食事はまだちょっと・・・。

こういう文章を見ると、確かに女性の方が辛いと思う。
僕にとっても、麻痺の前の写真は遠い昔の幻想のようで、今の写真はどれだけ上手く撮れても、やっぱり違和感があります。

いや、やっぱり、正直に悪い事も書かないとね。


麻痺になった時に、好きだった女の子が地元にいた。向こうが浪人してて恋愛する気が無いのは分かっていたけど、とりあえず次ぎの春までは待とうと思ってた。大学生になってから、高校時代を振り返って、やっと本当の意味で、あの頃、好きだった人が分かる事ってある。高校の頃にその人の友達と付き合ってたから、余計に見ないようにしていたのかも。

だけど、11月末に麻痺になった時に、手紙を出しちゃったんだよね。向こうが浪人で大変な状況なのに、「麻痺になった」とまで書いて・・・。あの頃の自分自身の弱さは、今、思い出しても痛い。自分自身がした事なのに、振り返って思い出すと自己嫌悪の嵐になる。それだけはやっちゃいけない事をやってた・・・。色々と謝りたい気持ちはあるけど、そんな資格さえない状態まで行ったから。


だから。
もし仮にあの頃の自分が見たとしても、人として最低限の強さが得られるような、そんな経験談を書いて、此処に置いておきたかった。突き詰めると、この文章はあの時のケジメのために書きました。麻痺になった本人だけじゃなく、その周囲の人達を含めて、余計に不幸になる連鎖は絶たなくちゃ。正面から見つめれば、確かにストレスは自己の問題だった。「心の動きは絶対何処かに出ているハズ」と思う強さと、「麻痺になった」と言ってしまう弱さ。それらが共存している異常さ。あの頃、色んな意味で僕は愚かだった。
顔面神経麻痺の対処法についての経験談はこちら
[2012/08]

最近、よく山登りに行ってます。北岳で撮ったこの写真の表情がいまの一番素直な状態だと思う。右半分が麻痺だから、左右で全く顔が違う。指で半分ずつ隠しせば、普通の人でも気づくぐらいにズレているけど、全体としては笑顔になっていると思う。この表情になるまでに16年か。けど、生きるってそういうことだと思うな。
[2015/05]

この前、ひょんなことから検索していたらまとめサイトに取り上げられている事がわかった。コンスタントにページカウンターが増えているから、未だに見に来てくれている人がいるのは知っていたけど、

顔面神経麻痺になった時の体験談が書かれてあります。
前向きに病気と向き合う姿勢に、読んでると元気が出ると思いますよ^^

とまで書いてもらえて凄くうれしかったです。


麻痺に負けない雰囲気を達成出来て以来、これで完全に顔が治れば、今までの人生で一度もしたことが無いレベルの笑顔ができると夢想してた。

結局、僕は未だに顔を強く動かすと耳鳴りがするし、完全に治る事は無かった。けど、この写真の笑顔が撮れれば何の後悔も無い。別にでかい写真を置く趣味も無いけど、左右差を見たい人のために元サイズでおいておきます。

最近はずっと登山を趣味にしているけど、昨年の日本4位の間ノ岳頂上での写真が麻痺以降の写真としては笑顔がMAXだと思う。2日目で髪もぼざぼざだし、上記よりも2年経って歳も取ったし、何よりも拡大すると目ヤニまで見えるのは恥ずかしいのだが、まあしょうがないね。

こちらこちら