Syleena Johnson
"Chapter2: The Voice"
なぜ彼女はこんなにも《高み》にいるのだろう
[2002/12/04]

2001年に発売された彼女の処女作"Chapter1: Love,Pain&Forgiveness"は傑作過ぎて売れないという言葉がチープに響くほどの作品だった。不純物ゼロの完璧な世界。その視線と伝える深さはマクナイトとMaryJ.を合わせたほどだった。以前に、「真に歌が上手い人は空間の密度を変えれる」と書いたけど、Syleenaはそんな生やさしくない。空間そのものを、ハンマーでこなごなに叩き割ることも(前作のEverybady wants something)、日本刀で真っ二つに切ることも(同じくYou Got Me Spinnin')も可能だった。

素直にいいます。まだこの処女作は70%しか浸れていません。120%が目標の自分としては、体感的に半分。だからMaryJ.の作品群のように本当の意味は生まれてない。必死に息切れしながらも追っかけてる状態です。けど、絶対に二作目は発売されないだろうと、"Chapter1"という文字を見ながら思ってた。このアルバムを聴きこめる人はいったい何名いるのだろう? そこがMaryJ.とは違う。MaryJ.もはどれだけ叫んでも常に弱さと泣きがあった。だからその隣に心を置くことができた。けど、Syleenaは違う。近寄るものを全てこなごなにする。R&B-Timeで追っかける毎に、いつも、凹む・・・・なぜ、彼女はこんなにも高みにいるのだろう・・・なぜ、俺は彼女を掴めない?

なのに、2作目が"Chapter2:The Voice"というタイトルで発売されると聞いて、このジャケットを見て、もっと彼女が凄いことが分かった。見事すぎるChapter2。本当に、彼女は真の道が見えている。そしてわき目も振らずに歩いている。だからP2S2H2はハッキリ断定できます。

彼女は、この時点で、もうSOULの女王です
それ位に、凄い。滅茶苦茶凄い。泣けないくらいにえぐられる時ってあります。女性歌手には生まれて始めて。きっと彼女は最初から3部作ぐらいのつもりで作っているのだろう。きっと3作目にして、やっと普通に聴ける曲を発表するのだろう。今の時点では、まだまだ普通に売れはしない。けど、そんな彼女の歩みを見守っている人がバックについてると思う。だからここまでの作品群を作っていけるんじゃないかな。マーケットのマの字も無い。売れるか?売れないか?なんて歯牙にもかけてない。そう思わせるだけの、二部作です。それ位に、見事なChapter1&Chapter2の連作。

男の本気をえぐるように引っ張り出す
処女作と変わらない。今回も15:Tonight I'm Gonna Let Goで明確に出てる。こうやって間接的証明をするしか、今のところ彼女の凄さを伝えれないや。「聴けば分かる」といえないレベル。「全部通して聴けるだけでR&B5段はあるんじゃねーか」って思う。もちろんこのジャケットの通り、前作よりは遥かに聴きやすくなってます。1曲目の歌い出しから広がった入り口を思わせるしね。続く2曲目も光にあふれてる。普通に街でも店でも流せると思う。3曲目も出だしから親しみがある。バックコーラスを上手く使って、彼女の志向性を上手に変えてるのが素晴らしい。

前半の山場が4:Dear Youかな。声が悲しみのフェーズに振れると、見事にメロディーもそれに従う。そして、交じり合った空間はどんどん硬度があがってく。ホント曲が淡々と進むのに感謝です。5曲目は呼吸可能。6:I'm Go Cryになったら明るいバックコーラスは完全に横に置かれて、彼女の扉が開き始める。リズム感のあるミドルに導かれてどんどん奥にいく。続く7:Is That Youもそんなテンション。この辺りが処女作と違う。処女作の6,7曲目連チャンはホント鬼だったから。今回は、あくまで段階を意識してる。やっと9曲目で明かりに満ちている。この光は、2,3曲目の光と種類が違う。場所の高さが違う分だけ、光も変わる。この区別は絶対に大事だと。バックコーラスを見れば一目瞭然だと思う。

ふぅ、、、Syleenaの何が凄いって、ここからもう一段、上がり始める所なんだよね。残りを適度な曲で埋めて、アルバム一枚完成なんてことは絶対にしない。ということで、10:No Wordsです。11:So Wilinglyもイイ曲です。確かにジャケット通りの木洩れ日だよ。

12:Guitars of the Heart(Happy)が一番最高地点
処女作の最高地点がOne Dayなのと同じで、あのレベルを見事にこちらに持ってきてると思う。だから全部えぐられる。きっと、自分はまだ本気で向き合ってないのだろう。それを叩き割れる位に押し込まれたな。そして、この曲と続く13曲目を必要としている女性の数は、多いと思う。彼女の歌の中で一番届ける力が強い。MaryJ.の曲のように、ラジオで流れた日には、「この歌があの時、ラジオから流れたから今の私がいる」という女性でこの世は満ちていくだろう。ラジオじゃ絶対に流せないとも思うけど、それだけのレベルです。この地点でHappyというのか・・・その強さが全ての救いを生んでいる。

光としては13:I Belive in Loveが一番だね。彼女の力強い歩みを、後ろから光が照らしてる。これだけのものが12曲目から生まれている。そんな連曲です。単純に13曲目だけに憧れると、答えはいつになってもやってこないと思う。どんな場所に落ち込んでも、前向きにHappyを見つけようとする、その姿勢が13曲目を生んでいる。


今の歌手の中で、惹かれるけど手が届かないのはSyleenaだけだった。それはホント悔しかった。けど、今回の2作目のおかげで重なる部分が増えた。もう一度、処女作を聴きこまなくちゃ。それにしても、なぜこの人の世界はこんなにも共有不可能性を抱えているのだろう? たった2作でこの地点までくる歩みは最速だけど、その分だけついて行くのがしんどくなってる。広く浅くか、深く狭くか、というのは単純過ぎる分け方だけど、そんな面があるのは否めない。そして彼女は間違いなく《深く狭い》。ここを3作目でどうやって広げて行くのか、それは本気で見てみたい。女性に激稀な《鋭さ》はこの先、どこに向かうのだろう? 

MaryJ.並に深い恋愛を歌っても、この人は本当に恋愛をしたのだろうか? と思う何かがある。
それを、今のところ、《鋭さ》としか名づけれない
   
Soulに守られたSoul
[2003/01/11]

MaryJ.を聴きこんだ後に、Syleenaを聴いた人には、上手く表現できない違和感が心に残るんじゃないかな。本作だけでなく、処女作の頃からずっと。確かに表現されている深さは同じなのだが、根本的なところで何かが違う。けど、もちろん否定されるほどの話じゃないのも直感的に感じる。だからずっと人に言えない違和感を抱いてた。MaryJ.を聴きこんでいる周囲に貸しても、やっぱり言葉の端々に同じ違和感を見たから。けど、やっと最近、分かった気がする。

お前は歌うために俺と付き合ってるのかよ・・・
彼氏の立場なら、こんな言葉がどうしても漏れてくる気がしたから。確かにアーティストと付き合うのはそういうものかも知れないのだが、それが表現者たる特権だとも思うが、Syleenaは強靭すぎると思うんだよね。偉大な父(まだ聴いたことはないですが)を受け継ぎ、最初から確固たる手応えを持っていた気がする。どんなことが自身に降りかかろうとも、全てを歌いきれる自信があったんじゃないかな。彼女のSoulは最初からSoulに根ざしてる強さがある。

付き合った果てに残されたのが歌だけだった
そんなMaryJ.とはここが違う。常に「歌が下手」と陰口を叩かれ続けたMaryJ.にとっては、歌という道さえしがみついてやっとの話だったのだろう。だから三歩進んでは一歩下がるような歩みだったし、常に聴く側が手を差し出し、支えたくなるようなハラハラ感があった。Syleenaにはそこが無い。
結論として、どれだけSyleenaが傑作アルバムを作ろうとも、広範の支持は得られない気もする。何が生じてもSoulとして表現できるSoul MaryJ.には、それを手にする過程が描かれているからこそ、真のSoulの女王なのだろう。Syleenaは最初から持っていたとまでは言えないが(だったら彼女の姉妹は全員もってることになる)、処女作にあれだけの作品をいきなりぶつけてきて、次回作はこのレベルをぶつけてくる。そんな誰もが無しえないステップを踏めてるから。酷く言えば、これだけのステップを踏めるSyleenaは・・・裏からみると余裕がある気がしてしまう。歩いた距離はMaryJ.の方が長い。それは冷徹な事実じゃないかな。Syleena本人も心の何処かで気づいているのかもね・・・。
以前に、3作目は「一晩なら相手してあげるわ」って曲がいいと思いマスとおちゃらけな事を書いたが、すみません、真面目に書きます。Syleenaが真に全ての人に訴えれるアーティストになるには、曲の完成度も、歌の上手さも関係ないと思うな。

貴方のためなら歌を捨てる

今の女性アーティストの中で一番の歌を持っている彼女だからこそ、答えはこんな恋愛を潜り抜けた果てにあるのだろう。そして、この感覚は処女作からも二作目からも感じられなかった。相手を見詰める視線に常に歌が載っている。完全に羽をもがれた状態じゃない。MaryJ.のどん底と比べると、どうしてもそう感じる。だから、Syleenaはもっと奥底にある悲しみに踏み込むべきじゃないかな。その時、本当に誰もが見たことも無い扉が開くと思う。2世は親と同じでは誉められない。父の歌は聴いたことは無いが、Syleenaは明らかにMaryJ.レベルまで来てる。だから、並んでいるとは言えるんじゃないのかな。そしたら、本当にもう一歩だね。

もしこちらに歩くのならば、そのきっかけになるのは処女作のI'd Rather Be Wrongじゃないかな。突き詰めるのは怖い道だが、そんな事をフッと思った。処女作の中で、あの枠組みを超える可能性をもつのはこのフェーズだと思うから。もちろんTyreseと一緒で、該当する相手がいて始めて可能になる話なのは分かってる。ただ、「いい相手がいない」というのはやっぱり答えじゃない。そんなことを言うなら、Joeみたいに「見過ごしているかもしれないし・・・」の方がいいのも当然。
だからP2S2H2としては、

私はあの人のことを本当に好きだったのだろうか・・・
この道に踏み込むことを薦めます。Guitars of the HeartやOne Dayのレベルを聴いてこんなことを言うのは心が痛むが、ここにSyleenaの蓋はあると思う。Tyreseの蓋がここにあるように。この蓋を開けたら、目がくらむほどの裂け目が待ってるだろうけど、それだけの価値はある。答えが無いのは分かってる。詰まらない話に自問自答しても腐って行くだけなのも。けど、こんな自問自答いこそが今後の深みと幅を作っていくんじゃないかな。

Soulの黄金期から30年は経って、Geraldを筆頭に2世が活躍する時代になった。いつも親父と比べられるのは痛いと思うが、Geraldは2002年の新作で見事に華を咲かせたと思う。世の中にイイ面だけの事もなければ、悪い面だけの事もない。偉大な父をもつ彼女だからこそ、一度歌を捨てる覚悟が必要な気がした。それでこそMaryJ.を越せる。


僕は同い年として、Sisqoと同じように、この先ずっとSyleenaの事を見守って行くつもりです。
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