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シャドウ・ボクシング | ||
[2004/09/23] 自分自身でも「なんでこんなにSparkleに拘っているんだろう」って思う事がある。けど、やっぱりSparkleの位置づけは高い。TOPがMaryJ.とAngieで、次にSparkleとKelly PriceとSyleena Johnsonがくる。それがP2S2H2の女性歌手の位置づけです。TamiaとAdrianaとTelly Ellisは男の色が薄いから、ちゃんとした場所が見えてない。Jill ScottとMissyは聴きこみが足らない。Toni BraxtonとJanetは新作待ち。Beyonceはあがってる。そんなんな。 IsleyがいなかったらChocolate Factoryも今年の新作もなかった。 それはもう世界中のR&Bリスナーの常識でしょう。 けど、Sparkleがいなかったら、R.さえ有りえなかった だからこそ、これだけ彼女に拘ってる。ぐうの音も出ないほどの見事なカウンターパンチ。Lean on MeとNothing Can CompareとLovin' Youと同じモノを出せる女性は、イイ女の階段を5段は行ける。それ位に素晴らしい。何が素晴らしいって、意識的にも無意識的にも相手を測ってるR Kellyへの態度。Be Carefulを歌い切ることが必須なのであって、それ以上のこの3曲を歌わせるのが、R Kellyのイヤラシサとでも言うべきか。常に女を測ってる。そういう視線がある。そんな曲をここまで完璧に歌いきった事で、やっと始めて彼は自分のちっぽけさを痛感したんじゃないかな。だからこそR.が生まれたのだと。 そんな彼女の2作目が本作です。発売当初から聴いてたけど、ずっと処女作の方がいいと思ってもう4年経ってしまった。やっとこのアルバムを聴き込めるようになったけど、絶対に同性しか分からない部分っては存在すると思うんだよね。R.とか特にそう。あれは根源的には同じアホ男じゃないと完全には分らない。このアルバムも聴き込むほどにそんな部分が見えてくる。それがショック、、、、と言うよりも当然かも。。。って思ってる。だから、ここにちゃんと書く事にした。女性ファンも増えたR Kellyだが、全員にSparkleは聴き込んで欲しい。此処には何がある。その何かが男の俺じゃあ完全に見えないから・・・ あの処女作がカウンターパンチとするならば、本作は間違いなくシャドウ・ボクシング。 闇夜に相手をイメージしながら何度も拳を突き出してるような、そんなラッシュに満ちてる。しょっぱなの1:Don't Know Whyからそう。前作は綺麗さをKeepしてたけど、本作ではそんな面をかなぐり捨ててる。そして太い声で歌ってる。裏ジャケのポーズもそう。真の彼女が全開って気分。車のヘッドもファット。もっとスマートな車を選べばいいのにね。なのにこれを選びたかったんだろう。確かに似合ってる。 5:Into My Lifeに一番攻め気を感じるかな。テンポもミドルだしね。けど、一番凄いのは6:When A Woman's Heart is Broken。タイトルから激ストレート。曲の最初の男声は誰?って凄く気になるが、本曲こそがR Kellyへの三行半なんだろう。この感情は「怒り」に分類したいのだけど、何かが違う。この曲が声を一番綺麗にまとめてる。そういう面が女の怖さなんだよなぁ、、、って痛感してる。一ヶ月程前に、本作の核はこの曲だって言えるようになったのに、そこから先がどうしても見えなかった。普通はすぐに言葉が浮かぶのにね。稀に聴き込むほどに混乱してくる事がある。それは色んな想いが混ざってるからじゃない。ある種のクリアーさが、その見た事もない色が混乱させる。「処女作なんて歌わされてるだけじゃん」って思う女性ほど、この曲がテーマソングになるのだろう。 10:Somebody Elseがその先の地平線。曲から受ける感覚と、歌詞から受ける感覚の乖離が怖い。この怖さは聴き込むほどにWhen A Womans's Heart Is Brokenよりも怖い。R KellyのWhen A Woman's Fed Upと一番リンクするのは、こちらの曲だと思う。Brokenの状態ならまだFed Upじゃない。こちらの明るさこそが真のFed Upなのだろう。普通なら「あんたなんかいいから、私は別の男を探しに行くわ」って歌うけど、それが常識だけど、R&Bなら軽い歌手だよ。このSomebody Elseの詞の方が凄い。何も毒づいてなくて、淡々とした情景描写だけ。そこに真の怖さがある。そんな意味ではMad Issuesとも違うね。 本当の事を言うと、相手の言葉を聞くとき、よく「先頭の言葉」のか「最後尾の言葉」なのかを無意識的に見てる。先頭の言葉ってのは「この先、こうありたい」という《願望》であって、それに断固たる決意が加わると《意志表示》になる。けど、まだ現実は追いついてない。だから引き戻される事もある。それが願望なのか意志表示なのかは瞳で判断するしかないのだけど。いや、究極的には瞳じゃないな。どれだけ自分の呼吸が停止したかだ。それだけが相手の意志を測れる。 逆に、キツイ状況ほど、言葉は最後に出てくる。その言葉を発した時が本当の底のような。。普通は声に出した時にもう一段落ちると思う。けど、違うよ。そこが一番底になるんだよ。MaryJ.のMy Lifeはそんなアルバム。 そして、「あんたなんていい」ってのは、現実が追いつけば発せられない言葉なんだよね。そりゃそうだよ。本当にどっちでも良かったら、「どっちでもいい」とさえ言わないから。だからこそ、全編を情景描写に費やした10:Somebody Elseの方が凄い。曲の最後になっても「私もsomebody else」といってない。けど、この曲の明るさが全てを伝えてる。 これこそLady Soul だから深夜のシャドウ・ボクシングの果てに、朝日が差し込んでる。それを掴み取ったSparkleと、その過程を出しきった本作こそが、彼女の最高傑作といわれれば、男性陣でも納得するだけのものがある。そんな意味では男性陣にとっても必聴ですね。 R Kellyのことだけ悪く言うのはちょっとね。 こういう面は同じ種類の男か、実際に向き合った女性じゃないと分からないと思う。一番、駄目駄目なのは、BrokenとFed UPの間を猶予と感じる面なのも、本作を聴きこんでやっと分かった。この4年間何してたんだろうね。 最後に一つだけ。 このUPのために処女作も聴き直してた。2作目が分かる事で見えてくることってある。そういう瞬間は確かに歩く力になるのだけど。この処女作で一番Sparkleらしさが出てるのは6:What Aboutじゃないかな。そんな気がした。この曲だけは、R Kelly以上の、R Kellyと同じような境遇の幼い男の子への慈悲に満ちた視線がある。だからこそ、R Kellyの心の扉が完全に開いたのだろう。それがこの世の摂理か。 |