なぜか会話のうまい人たち 荒木創造 親しみレベル 最初の言葉といえば、たいていはとても無頓着になされる。 よく「どうも、どうも」などというような意味のないことが言われるのである。 そんなことを言いながら、私たちは笑顔を見せたり、頭を下げたりするのだが、 実は言葉そのものより、笑顔や頭を下げた角度などの方が重要なのだ。どんな 笑顔を見せ、どんな風に手を振り、どんな風に頭を下げ、腰を低くするか、その あたりのことがとても重要なのである。実際のところ、特に最初の段階では言葉の 内容にはほとんどないのである。 また特に若い男性に多いかもしれないが、ある女性と初めてデートしたところ、自分は お互いのもっと深刻な話をしたいのに、女性の話がずっと軽い話に終始するので、 「なんでこんなに軽薄なんだろう」なんて思って、がっかりしたり、憤慨したりする人も いるだろう。女性はまずもっと慣れ親しんで、安心したいと思っていて、同時にその間に 相手の人間性を探っておこうと思っているのが分からないのである。女性のこういった 気持ちを分からない人たちはだいたいがいわゆる生真面目すぎる人だということに なるのであるが、生真面目すぎる人というのは、この「親しみレベル」の会話の本質が 分かっていないのである。あるいは、理屈では分かっていても、これらの会話のいい加減な ところが生理的に嫌いで、うまくついて行けないのである。 会話の流れが流れていく様子を学び取ろうと努力してみることである。この会話の流れが 分かるようになり、つかめるようになれば、流れに乗っていくことはむずかしいことではない。 そして、そのうち流れに乗っていくことに慣れてくれば、流れから一人で降りることも流れの 方向を変えることも簡単にできるようになる。 相互理解・協力レベル この「相互理解・協力レベル」の会話が上手く行き、お互い自分にとって重要な話を充分に することができれば、その人たちは友達同士になる。友達とはこのレベルの会話をよく交わした 者同士のことであって、いくら「親しみレベル」の会話を交わしたところで、それではまだ 知り合いでしかない。同じ事が恋愛についてもいえる 「親しみレベル」がいい加減で、不正確で、不誠実で、ただ自分は相手に敵意はないし、なんとなく 好意をもっているということを伝えようとして、友好的な雰囲気を盛り上げるために存在している のに対して、この「相互理解・協力レベル」はなによりも正確さと誠実さが求められるからだ。 自己主張・批判レベル なぜ「自己主張」と「批判」を並べたかと言えば、自己主張するということは、たとえ名指しにしたり、 名指しはしなくても、かならず誰か他の人を批判していることになるし、反対に誰かを批判するということは、 かならず自己主張をしていることになるからである。読者の中には、今でも自己主張することや批判をする ことをあまりよくないことと考えていて、できることならそういうことは避けるべきだと思っている人もいる かもしれない。 相手の気持ちを害さないで、あなたの主張をする時に使えるとても便利な言い方がある。「自分が正しいか どうか分からないけど、私はこれこれこう思うよ」とか「私はこういう意見だけど、なにも自分だけが正しい と言ってるつもりはないよ」とか「私はあなたが言うこととは反対のことをよく聞くけど、たまたま私の まわりには違う立場の人が多いだけかもしれないね」 人前で自己主張したり、誰かを批判したりすることができない人にまず言いたいことは、「まだキミは大人に なっていない」ということだ。「自己主張・批判レベル」の会話を人前でもそれなりに展開できるということは、 自分の考えを持ち、それを表明することができ、そして自分の行動に責任を持てるということだからである。 だから、「自己主張・批判レベル」の会話力を身につけるということは、大人になる努力をするということと 同じなのだ。大人になるにはそれなりの覚悟と勇気が必要であるように、「自己主張・批判レベル」の会話力を 身につけるためにも覚悟と勇気が必要である。では、この覚悟と勇気はどこから来るかと言えば、人は自分以外の 全ての人と仲良くしていかなくても充分生きていきえるものだと悟って、よりよく生きていくためにはむしろ 個人としての自由と自己主張をしなければならないのだという認識を持つことである(この当然の認識こそ、 大人への第一歩である)<中略>つい過度の自己主張や批判をしてしまう人はこの認識がどこか欠けていて、 心のどこかで自己主張や批判を自分自身にとっての密かな目的にしてしまっていることがあるのだ。 「創造レベル」 「自己満足レベル」 でも時々、初対面のときから、気取りも嫌味もなく、いやにゆったりと話をし、こちらもゆったりさせてくれる 人に出会うことがある。<中略> そういう人たちの話し方や内容を観察し、思い出してみると、興味深いことに 気づく。いったい彼らがなにを話していたのか、ほとんど思い出せないのだ。ただ、勝手に何か喋っているだけ なのである。その喋る様子を思い返してみると、そういう人は相手の方を凝視するようなことはない。視線は いつもどこかにぼんやりと向けられているけれども、なにかをじっと見つめるということはなく、誰かに声を かけられたら、いつでもその声のする方にすっと向けられる状態にある。顔にただよっているのは、たいていが 笑顔になる一歩手前の柔和な表情であり、誰かに声をかけられたり、誰かがなにか冗談のようなことを言ったら、 すぐにでも満面笑みとなりそうな感じである。話すテンポは幾分ゆっくり目で、話の内容はどうってことないこと なのだけれども、もう少し具体的に言えば、自分自身のちょっとした体験であることが多い。 <中略>まあ、そんなどうでもいい体験を半分まじめに、素直に話すのである。あまりいいことを話しすぎると、 自慢話になってしまうし、あまり嫌なことはグチ話になってしまう。その中間の、ほとんど印象に残らない 自分自身の体験を話すのである。<中略>もちろん、自分の独特の考え方とか、趣味の深さなどについては 話さない。仕事によってはある程度自己宣伝もしておかなければということもあるので、時には、幾分詳しく 自分の顔の広さとか、華やかな実績について話すこともあるが、あくまでもさっと触れる程度で、またすぐにでも どうでもいい話題に戻るのである。 ここで重要なことは、相手の人が自分の話に興味をもっているのか、あるいは本当に自分の話を聞いているのか ということはほとんど気にしないで、相手が話し始めるまで、なにか言いつづけているということである。 そして、相手が話し出したら、別段興味がなくても、興味深そうにさっと目を向けるのである。 ・自分の意見が言いたいのに、いつもタイミングを逃してしまう ・人を批判することができない ・はっきり自分の意見を言い過ぎていじめられた ・異性となかなか親しくなれない(初対面でウケない) ・最初の印象はいいけども、デートがうまく行かない ・恋愛関係には入るけど長続きしない