輪廻転生
[2003/09][2010/10]

つい先日、「豊饒の海」を読みました。またも兄貴に薦められたので。豊饒の海が三島由紀夫の遺作であって、輪廻転生を題材にした作品ってのは知ってた。「仮面の告白」と「金閣寺」を途中で投げ出した自分にとっては、初めての通読作品です。「仮面の告白」は青年期にありがちの自己告白調だけど、そこまで惹かれなかった。セクシャリティ的に合わなかったから。「金閣寺」の入れ込み過ぎてるから燃やしたくなるっていう心理は伝わるモノがあったけど、なんか全部は読まなかったなぁ。だから、それ以上に三島由紀夫の本を読むつもりが無かった。だけど、この本は読み始めるとかなり楽しくて、一気に4冊読んでしまいました。本気でハマると、飯・トイレ以外は1日18時間ぶっとうしで読んでしまう癖は変わってないなぁ。

今までずっと輪廻転生は魂の話だと思っていたけど、それはヒンズー教の考え方であって、仏教の特徴は魂までも無と見ると書いてあるのに、驚愕したなぁ。確かに仏教が一番ケチつけられる点は、その極端な無常感なのだけど、まさか輪廻転生において魂までが否定されているとは思わなかった。じゃあ何が輪廻転生するか?は、大乗仏教の唯識論が生まれるまでは解けなかったとのこと。大学時代はそこら辺の本を読んでたつもりだったけど、全然甘チャンだったというのを痛感してました。

よく五識というけど、そこに「意」を加えて六識として扱うのに、まず納得。現代文明は意志を何より上位に置くけど、それは本HPでも変わらないけど、突き詰めると意志ってのは選択の自由が無いと意味無い訳で、、、西洋正当哲学はこの綻びを「偶然性」を入れることで解消しているっていう文面もあって、三島由紀夫本人もかなりここら辺に拘った事が伺える。今の自分としては、目耳口鼻肌の5識と意を並列に置く体系は妙にすんなり納得できた。物事を成そうと思ったら、意志と同じ位に周囲の環境も大切なんだよね。意志だけで全ては決まらないからなぁ。意志だけなら三日坊主に直行間違い無いぞw だから物事は「周囲の環境との間に正のフィードバックが出来ているかどうか」で決まる。

このHPはそれがやっと形になってる。もちろんガンガンに聴きこんでた昔は、負のフィードバックだったです。やり込むほどに周囲から浮いてばっかりだった。そんな意味では、最初からすぐに正のフィードバックが作れる訳でない。そんな意味では、最低でも1年はやり込む意志が無いと、全ては無意味なんだよネ。それは知っておいた方がいいかもね。一番納得がいかないのが「夢」。 夢なんて努力込みで考えないと、夢想じゃん。夢想なんて時間の無駄だぞ(ってよくやってるがw 小学校でそこら辺はちゃんと教えるべきだと思う。「僕の夢は○○なんだ」「そこまで行くのに、これだけの努力は必要よ。それでもそう言える?」って。うーん、厳しい先生かもw

で、この次に7番目としてマナ識を置く。これは自意識みたいなモノらしい。なるほど、確かに順序的にはそうなると思う。意思と自意識は違うからなぁ。けど、仏教ではこのマナ識も否定され、最終的には8番目としての阿頼耶識を想定して、これこそが輪廻転生の主体とみなすらしい。



ま、個人的には、本当はどっちでもいいのだけど。この世が実際、輪廻転生なのかどうかはもちろん分かりません。けど輪廻転生は自己意識が次の生に持ち越せない事を規定してこそ、初めて意味があるのだから。 そうじゃなかったら、「この人生はちょっと環境が悪い」と思った時点でポンポン安楽死して、社会が成立しなくなるからなぁ。結局、輪廻転生があろうがなかろうが、自己意識において人生は一回きりであって、死んだらその自己意識は無くなるというのが当然な形でしょう。だからこそ、考えてもあんまりしょうがない気がする。


じゃあ、なんでこんなに拘っているかというと、本人に選択の余地が無く襲ってきた「負」を、どう受けとめればイイか?っていう疑問なんだよね。輪廻転生は、それを前世のカルマだって終わらせる簡潔さがある。もちろん、それも納得しているわけじゃないのだけど。なんで、今の自分と関係無い人の尻拭いをしなくちゃいけないのか。自己意識が持ち越さなくて、何が持ち越すのかも不明なのにさ。まあ理屈としては通っているのは認めるのだけど。


そういえばなんかの雑誌の書評コーナで「ラブリーボーン」っていう本を薦めてた(訳本です)。まだ読んで事は無いけど、大学最初に強姦を経験した女性が、30過ぎて?書いた傑作らしい。その作者はやっと、あの事について書けるようになって、他の本で正面から取り上げているらしい。その本も読まなくちゃ。本紹介コーナーにあった作者の表情を見て、気になったから。かなりのレベルの表情をしてた。その写真においても見える陰模様が痛ましかったから。

ベトナム関係の本を色々読んでいたら、近世でベトナムで流行した新興宗教について書いてあった。そこで、この問題について触れてあった。それは自身の糧となるために生じるって。結局、この一回きりの人生で完結しようと思ったら、これが一番正しいんだよネ。そして自分の実感に一番近い。随分と糧になってきたと思う。けど、これがあるから、男でも女でも 「今までに潜り抜けてきたモノがある」と言い切れる人じゃないと最終的には心が全部開かなかった。この態度はどうにかしなくちゃいけないと思っても、未だちゃんと直ってない。まだまだです。


当然、皆がそうやって思えるのなら、この世に自殺は無くなる訳で、、、ラブリーボーンの作者がそう言い切れるのは分かる。けど逃げようとして余計に泥沼化している人の方が多いのも確か。だからこそ、その言葉は宗教としては失格だと思う。最初に人の強さに依存するのなら、それって宗教なの?っていう疑問が禁じえない。もちろん、それこそが真の宗教なのかもしれないのだけど。だからこそ追体験できるSoul-Musicがあると思う。こうして、ぐるっと一周してこの場所に来る。アレサ・フランクリンの若い頃の写真をもっと見たい今日この頃です。未だに聴き込めてないけれど、あの写真はホントに凄かった。



それでも未だに輪廻転生に拘ってることはある。まず、次に持ち越したくない事。この人生の決算表が赤字で終わって、次の人が負の環境から始まるのは《矜持》としてしたくない。後、阿頼耶識がどんなものであれ、どれだけその説明を読んでも分からなかったけど、、、志向性は魂の発現でもあって、自己意識に染まった魂よりも奥の階層に位置している気がする。結局、魂と言う言葉の対象範囲の広さが問題なのかもなぁ、、、って感じる。志向性だけは輪廻転生するのかもしれない。
輪廻転生に正面から取り組んだ作品として、手塚治虫の「火の鳥」はホントにお勧めです。昔、読んだ事があるけどかなり忘れていたので、この前、漫画喫茶で読み返してきました。改めて読んで、やっぱり感銘を受けました。

どの章もいいけど、とくに若い二人が最果ての惑星で暮らす話、あれが一番Deepで凄いと思う。「肉を食べなくちゃ女性が生まれない」とかホント圧巻。

あ、あと、大きな鼻になる罰を食らった流刑星。鳥の足をした人たちを殺しまくって流された所。あれもシュールさが好きで好きで。あの章一つ読むだけで、優しくなれる何かがある。

交通事故で体中が入れ替わった後に、ロボットにしか愛せなくなった男の話。結局二人は、不細工なロボットになって、最終的にそのロボットが大量自殺する。あの章も心に響く。


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