レビューの意味を探して
[01/12/27]

芸術の意味って何だろう? 
普通は「感動を与える事」だと思う。けど、容易に感動できない様などん底の曲があるのも事実。もちろんそんな曲に対しても感動する事で、初めて意味が生まれるのだと思う。けど、最初の姿勢を「感動を求める」に置くならば、理解できない曲が生まれちゃう。これは、今までの経験上、正しいと思うな。

いつからか自分は感動を求めてない。結局はTommy Simsの所に書いたように、同じ心の震えを共有出来ればイイと思う。嬉しくなるような曲を求めている訳でない。楽しくなるような曲を求めている訳じゃない。本当の所では自分のベースが厚くなるような曲を求めていると思う。R&Bに求めるのはそれ位にウエイトの高い話なのだから。感動するかどうかは震えに対して逃げない時に初めて生まれるのであって、感動しようと思うと、低すぎる震えから逃げ出してしまうと思うから。パッとみて光が無いと、どん底に連れ込まれるだけだとみなしちゃうから。

たとえ、どん底だけであっても、歌っている限り、それはもう光なのだと思う。自分はそう信じているし、だからこそ、そんな世界に滑り込みたくなるのだから。もちろん他のジャンルにはそこまで求めてない。ムンクの「叫び」に滑り込もうなんて思わないもんなぁ。けどR&Bだとやっちゃうんだよね。
昔、「人は何故 感動するのか?」について酷く悩んだことがある。18か19の頃かな? 自分はここら辺をガンガンに考えてしまうタイプだから、しゃーない。って言っても、感動するのは事実なのだから、それを疑ってもしょうがない。そんな事考えても、腐るだけだもん。世の中にはそんな設問があるからさ。

それよりも「何故感動は冷めるのか?」について悩んでた。もし、この感動がずっと続けば、自分が変わるんじゃないかと思って寝ても、朝が来たら同じ毎日だもんね。それに、いいようのない不満感があったから。


「作品に手を引っ張ってもらって、一瞬だけ階段を登れてる」
これが感動の意味だと思った。だから、自力じゃないのだから冷めるのは当然なのだと。いつも誰かが引っ張ってくれる訳じゃないし、それをあてにして生きるなんて真っ平ごめんだもんね。常に引っ張って貰う事を考えてると、感動して冷めての繰り返しだと気付いた。だからこそ歩く必要があるのだと。同じだけの地点に自力で上がる為に。努力というのは感動の次ぎに来るものであって、そこにしか意味は無い。

4月からガンガンに書きながら、自分自身の批評に対する態度が少しずつ変わってきたと思う。最初は、乱暴にでも出せばいいと思ってた。次ぎに「枠組みの提供」だと思ってた。けど、やっぱり自分はその先を見てる。


感動というのは何処までいっても独りの事
そりゃねぇ他人が感動したからって、すんなり感動出来るほど、人間は交わってないと思う。どうしようもなく独りの事だからこそ、どうしようもなく意味があるのだと思うから。批評は、突き詰めると「自分は感動した」だけになってしまうし、それはやっぱり明確に発信するには後ろめたい。それくらいなら親しい人に「これナイスだよ」って勧める方がよっぽどいい距離だと思う。


けど、その先に何かがあるのを最近、良く実感する。結局、自分は「作品の震え→自分の心の震え→自分の感動」の果てに、《視線》にまで持っていきたいのだと。視線にまで登れば、それは共有可能性を持ちえると思う。だからこそ、やっぱり


P2S2H2は、《視線》に滑り込む事を目標にしてる
10月にタイトルの所に書いた時は、一瞬の思いつきだったけど、ちゃんと歩くと此処に来る事を実感する。R&Bはパッとみコテコテの世界だけど、突き詰めるとドンドン光だけになる。どうしようもなく、アホみたいに自身の事なのね。それは、外面だけ「みんなの為」って言いたがる曲からは感じられないものであるのは確か。そんな曲ほど、突き詰めると自身だけの事か、何の価値の無い事の方が多い。最初に、これは自身だけの話だけど、俺・あたしは歌いたんだって言われる方が信じられるもん。


R&B全体を優しい視線で包み込む事
それがやっぱり自分のしたいことかな。自分以上のR&Bにどっぷり浸かっている人は、この感覚が1番の根っこにある気がする今日この頃。

Slowなコーラスから入った自分だったけど、ある日アホUPに目覚めた。もともとアメリカという国自身がある種のマッチョ思想に支えられてる。そりゃねー、いくら自由とチャンスを掲げても、そのフロンティアはインディアンから奪ったものだもん。そこに無理やり連れてこられたアフリカン・アメリカンの女性の境遇なんて決まってるでしょう。だからこそ、アフリカン・アメリカンの男性は白人男性よりもマッチョでなくちゃイケナイ。アホUPを裏から追っかけて見得てくるのはこの点だもんね。

それに気付いた時、やっと完全に自身をアホUPに預けれるようになった。そしたらナイスで楽しい世界だった。その後は、たまにCrazy about youと吼えたくなる性格になっちまったけど、それもReasonだと思うな。
  
視線とはなんだろう?
[02/01/02]

口当たりのいいレビュー、最大公約数の点数
こんなのは優しい視線なんかじゃないと思う。まあ無いよりはマシかもしれないけど、それ以上でもそれ以下でも無いと思うから。じゃあ視線とはなんだろう? それについて考える。すると結局、自分は

「歌に載る想いの奥に、決して載らない想いが存在する」
と思ってる。もちろん歌は文章じゃない。だから30%なんて話じゃない。普通で50%は出ると思う。もちろんバックコーラスや演奏者との兼ね合いで100%以上が出る時も存在すると思う。やっぱりそうじゃなくちゃ生きてる意味なんて無いもんねw マイケルのあの曲はそれだからこその地平線だと思うもん。けど、やっぱりこんな幸福な事はそうそう滅多にないでしょう。そんなにこの世は上手くできてないもんね。そしたら載らない気持ちもあると思うな。

だからMaxwellの所で書いたように、
その為にはやっぱりR&B-Timeというのがどうしても必要不可欠。真っ暗な中でヘッドホン聴くことで、アーティストの呼吸のタイミングまで聴くことで、見えてくる世界があると思ってから。そこで、「これは誰にも伝わらないだろうけど、俺/あたしは歌いたいんだ」とかが見えてこれば、浸れたなぁ・・・と感じてた今まででした。
やっぱりこれを掴まえたいんだよね。


最初にえぐってこそ優しい視線
こう思ってる時点で、かなり喧嘩を売ってると思うが、しゃーない。しょせん人間なんて自己理解の30%しか相手の事なんて分らないもんね。そりゃねー結局は自分の持ってる物差しで計るんだから、「目盛の幅」と「物差しの大きさ」に制限されるのは当たり前じゃん。長すぎるのはズラして計るなんて事が出来る程、この世は上手く出来てないよw <計れない事を認める勇気>がある時点で「良く出来ました」って世界だもんね。

それに加えて、志向性が合わないとホントに踏み込む事は出来ない。だから調子よくFavは書いてるけど、内容的にはかなり差があるもんなぁ。って、もちろん「えぐりたい」なんて不謹慎な事は思ってません。結局は、自分の心に浮かんだ波紋を100%見切ろうとしてるだけだから。


結局、自分は理解して欲しかったんだろうね。こんだけアホでイイ面と悪い面が混線してるのをほぐして欲しかったのだと。けど、未だえぐられた事ってないな。って、そうであっても「相手に望む事から出来る人間になりたかった」だけだから。で、まだまだ嫌いな者を見るほど人間出来てません。やっぱりR&Bは大好きだからね、だから見ちゃうんだね。ガンガンに。って結局、乱暴なのかなぁ・・・

「うっせー俺は俺自身とこの世の概念に乱暴なだけダー」って気分。こんなのいちいち相手にしちゃいられません。(言っちゃったw


感動について考えた結果は、あんまり意味が無かった。努力の意味が分っただけだった。もし親になったら、子供には勉強で感動させるように心がけようと思う今日この頃。 そういや、イチローは努力といわずに準備というんだよねェ、、、相変わらずCoolな人ですね。アホが使いまくるせいで、努力の意味が悪くなってると思う。それは直していくべき。

実はこれ以外にもショーもない事を色々考えてます。昔からです。「夢を見させてくれない社会が悪いのか? 見れない個人が悪いのか?」の答えも19の時にGetした。そりゃねーR&Bを聴く限り、ここら辺は必須でしょう。じゃないと周りのロック野郎に押し切られて日陰モンだもんね。そう思ってたけど、いつの間にか必要なくなってたぞw

これ以外の考えてる内容は空恐ろしくて人様には言えませんw まあ10年後には書けるようになるのかな? 御存知の通り、殆どの原型は18,19歳の頃です。そこそこ伝えれる様になるまでに4年掛かりました。ま、そんなものなのかもと最近実感中。

という事で、脱線しまくりだけど、視線ってのは、結局、「考えて腐る問題」と「答えが出てくる問題」の見極めでしょう。自分がやってる事なんて、普通は腐ると思うんだろうなぁ。そりゃなーパッとみ答えなんて無いもんね。けど答えまで行かなくても、考え抜けば一つの力になるよ。かなり恋愛で使えます。ファンキー・ムービング・スイッチはここら辺にあると信じてます。

って、もちろん見極めついてた訳じゃありません。とことんアホだっただけです。結局、Reasonを増やして行きたいんだろうなぁ、とは思う。「無理が通れば道理が引っ込む」とは言うけれど、逃げなければ道理が出てくる気がする。PM Downの詞の中で「愛じゃなかったら、道理だ」ってあったのも大きいかもね。もう歴史に埋もれたグループだけど、今から見直せば思わせぶりな歌詞ばっかりだけど、あの頃のR&BとHip-Hopを合わせた中で1番何かをしようとしてた。実感に弱くて言葉が上滑りしてた気もするけど、ナイーブな男の子がイチコロになってしまう何かがあった。

精神性について語ろうとすると、SHAIとPM Downになって、両者とも埋もれてしまった。その道理を探してる。結局は、決してメインにはならないのに、それが無いとホントの意味では救われない、ギリギリの何かなのだと思う。ここが分ったらもう一段階の視線が手に入ると思ってる。


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