座右の銘 辞世の句
[2005/01/29]

小学生の頃に一番読んでた本は戦国武将の伝記だった。市の中央図書館の子供コーナーに小学生でも読めるレベルの伝記シリーズがあって、二週間に一度、自転車で通っては5冊借りてた。なんであの頃、あんなに伝記を読んでいたのか分らない。あの頃の日常と全く違った世界が良かったのかな。戦国時代の話だから余計に惹かれていたのかも。今から思い出すと、小学生用の読み物だから女性関係での艶のある話?も載っておらず、勝った負けたがメインの本だったと思う。大河ドラマの原作にもなった新田次郎の「武田信玄」や津本陽の「下天は夢か」などに比べると、深みの無い本だが、小学生用だからねぇ。

で、その時、一番印象的だったのが、武将の全てに、座右の銘と辞世の句があることだった。もちろん今では殆ど覚えてない。唯一覚えてる辞世の句は豊臣秀吉の「露と消え 露と落ちつつ わが身かな  難波のことは 夢のまた夢」 この夢のまた夢っていうフレーズが妙に印象的で。津本陽の豊臣秀吉の伝記の名前も「夢のまた夢」だしね。もちろん織田信長の「人生わずか五十年 下天のうちをくらぶれば ○○○」 いかん、忘れてる。。。敦盛の舞での歌らしいが、有名なフレーズなのは確か。

そんな意味では、座右の銘と辞世の句の伝統はもうちょっと復活させてもいいと思う。今でも政治家はそれぞれ座右の銘があって、新聞の紹介欄に載っていたりするが、あんまり感動しないのが多い。もちろん座右の銘なんて堅苦しくなくても、「自分のモットー」っていう形で持ってる人は多いだろう。それで十分だと思うんだけどね。ただ、床の間に座右の銘が掛けてあったり、戦で負けて首をはねられる前でも辞世の句を詠む時間はもらえる。そういうしきたりになんか憧れがあったのかなぁ。

もちろんオレッチは辞世の句を読むほど和歌に通じていないが、なんだか座右の銘には拘っている。それは、最終的に自分自身を突き詰めていくと、座右の銘だけになると思うから。普段はあまり意識しなくても、ギリギリの地点に行った時に、座右の銘があるかどうかは生きる強さとして大きく変わってくる。それは断言できるな。もちろん誰かから与えられた銘なんて意味ないから、なるべくなら二十歳までに座右の銘を見つけておいた方がいいと思う。流されずに自分の道を切り開こうと思ったら、結構大事なポイントだと思うから。


けど、二十歳の頃から「尺取虫が屈っしんのは伸びんが為なり」という座右の銘はオーバーワークになってた。幼い頃はこれがあったからこそ前を向いていたんだけどね。 でも二十歳を越したら、もう昔みたいな状況は遠い過去になって、自分を尺取虫と言わなくちゃいけないような状態ではなかった。けど心の奥底で気づいていても、ずっと直せなかった。「押し込まれた状況からの反発」ってのが自分の唯一の歩き方だったから。もう誰も俺を何処かに追いやってる訳じゃない。なのに自分はその方法じゃないと歩けない。だから必要以上に昔の事に拘って、必要以上に今の事と結びつけ、そして、モノにならなかった。当然と言えば当然の話。

ずっと親が「海外留学するなら、お金は出すわよ」って言ったのを聞き流していたのもそう。もちろん、あの当時は古武術が楽しかったり、日本にとどまる理由はあった。けどTOEICが650ほどになって、やっと最近、海外留学してもなんとかやっていけそうな自信が出てきた。だから、あの頃、もう1歩ちゃんと歩いていたなら、自分の未来は大きく変わった。完全にありえなかった選択肢まで後悔してもしょうがないけど、目の前に出されていても流した選択肢は、やっぱり後悔するや。

だから、この座右の銘はもう変えなくちゃいけないってずっと思ってた。新しい座右の銘を見つけないと再び歩く事ができない。けど、一生変わらないこその座右の銘なのだから、変えていいのか? って迷ってた。3年経っても結論が見えなかった。こんな所で迷って、考え込んでいるのは、きっと誰にも伝わないと思う。けど、自分の中では凄く重要な問題だった。

けど、12月ごろかなぁ。尺取虫というほどの状況に追い込まれるのでなく、自ら笑顔で行けばいいことに気づいた。その他の事を諦めて。 ずっと女の娘と楽しくやるのに憧れててw、 それが出来ない理由を色々引っ張ってきたけど、やっぱりもうそんな歳じゃないんだよね。今は二十歳の頃と違って素直に思える。あの頃は、エミュレータやAOKで遊んでたけど、その時の楽しさだけで、それが何にも結びつかないことも十二分に体験したしね。だから、今は素直にその他の事を諦めるようになった。その他もろもろのことを諦めて、自分自身を絞り込めば、同じように座右の銘が輝く状況になる。

色々と諦めよう。何故? 自分はまた歩き始めるから。 何故? 素直にいえば、アーティストに小言を言うのがイヤになってきたんだ。俺はそんなに偉い人間でもないのに、人のことについてあれこれ言う資格は無い。 Daveのアルバムを聴くたびによく思う。そんなの23から死ぬまでやるのが、いい加減イヤになった。今まで俺は歩いてきた。だから、それを持ってコメントしてた。けど、社会人になった後はそんな大したモンじゃない。今の自分の努力の度数じゃ、素直にそろそろ口を閉じた方がいい。けど、口を閉じるなら、再び歩く方を選ぶ。


座右の銘に関する新しい受け留め方=自分自身の新しい歩き方を見つけれて、本当に嬉しかった。自分の人生の中でもかなり嬉しいことになるんじゃないかな。自分が気づく前に、こういうことを女性から指摘されれば、一生離れないだろう。解答まで教えてもらえたら、一生つくす。それは当然の世界。けど、それは有りえなかったし、望むのも二十歳で辞めた。それ位に奥の奥にある悩みと光は相手には届かない。けど、それ位に座右の銘は大事なんだよ。


選択肢の多さは人を幸せにしない。

此処しかない状態に追い込まれた方が、人は伸びる。他の選択肢があるってのは、逃げ道があるのとあんまり変わらない。そこで心がふらついてたら、本当の壁は越せない。だから自ら選択肢を絞る勇気が必要なんだ。それがずっと零だった。そんな結論です。
  
「なぜ選ぶたびに後悔するのか」っていう本が発売されているらしい。書評欄で読んでなんか気になってる。「選択肢の多さは人を幸せにしない」という視点において同じだから。 けど、この本は「足りる事を知るべきだ」という結論みたく、買ってまでは読む気になれない。確かにほどほどで満足できないと、本人だけでなく地球環境的にも未来が無いとは思う。けど若い時に「ほどほど」さだけで満足してたら、人は伸びないと思う。

だからこそ、自ら選択肢を捨てる気概が必要になるんじゃないかな。あれもこれもじゃない。これしかない。そんな状態に追い込む事は大事だけど、その追い込む理由に笑顔が無ければ、やっぱり駄目なんだよね自分の人生で見つけてきたそういう結論は、今の所、このような形でしか残してないが。


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