「読書力」齋藤 孝 岩波新書
[2005/01/15]
 

言葉と感覚を対立させて考えようとする論を時折見かける。しかし私の考えでは、両者は対立するものではない。言葉が繊細に使えれば使えれるほど、五感もまた研ぎ澄まされる。新しい言葉が生まれれば、新しい感覚もまたそこに生まれる。元来文学作品は、そうした新しい感覚を生み出すための言葉の実験室でもある。誰も感じたことのない感覚やはっきりとは意識化できなかった感覚を、文学者が言葉にしてくれることによって、初めて手に取るように把握できるようになる。《中略》言葉によって五感が研ぎ澄まされる。この爽快感を味わわせてくれる文学者の代表が、宮沢賢治だ。《中略》詩人や文学者の場合でも、地水火風のイメージで言うと、どれかに好みが偏りがちだ。しかし、宮沢賢治の場合は、具体的なものとの関わりが常に失われておらず、地水火風のどれもがリアリティのあるイメージで提示される。
うーん、さすが斉藤孝というべきか。この「読書力」はかなりよかったので、Etcに読書ノートを書く事にした。それにしても、R&Bのレビューで必要なイメージの種類と、自分の偏り・伸ばすべき方向は一度、真面目に考える必要があるなぁ。



社内講師(教育者のはしくれ?)としては、齋藤孝は結構大事。「声に出して読みたい日本語」や「三色ボールペンで読む日本語」はベストセラーになったんだっけ。「客観的に大事な所」、「非常に大事な所」、「個人的に注目する所」を色分けして線を引くというのは、確かに凄く納得する。P2S2R&Bでも客観的or引用は水色、非常に大事な所はサイズUP、個人的に注目する所は緑で色分けしてるしね。男は青、女は赤、けど、R KellyはR.が赤だから赤。という会話文での色分けもしてる。 そんな意味では、かなりフレンドリーになってるハズ?? 最初はRythm Nationみたいに同じ色・サイズで書こうかと思ったけど、あれはR&B初段以上じゃないと楽しめないからなぁ。だから、今のスタイルにした。本HPで慣れてから、頭の中で線を引きつつRythm Nationを読むのをお勧め。

齋藤孝の力点を一つだけ挙げれば、「本当にいい事は強制でもいいから繰り返して、身体レベルまで落とす必要がある。そして、大人は何を薦めるかに完全なる責任を持つ必要がある。創造性は基本が身体レベルまで染み込んだ後の話なのだ」ってな風になるかな。そこに完全に同意しているんだよね。R&B-Timeで他の感覚を遮断して、トコトン名作を聴き込むのを薦めてるしさ。聴いて感じる所がなかったら、神棚に飾って一年毎に再チャレンジすればいい。HPを書くときに色々とラインを引いたけど、その中の一つに「Rythm Nationが否定的な作品を誉めるのは構わない。世の評価基準は色々あるから。けど、Rythm Nationが誉めてる作品に否定的な意見を言うことはできない。それは単に本人が分って無いだけだ」ってのもある。唯一Playaだけはティンバランド好きな哲章さんのオーバワークであって、そんなにイイ作品かぁ?と密かに思っている訳だがw Playaの魅力は誰かに教えて欲しいなぁ

で、なんやかんやで、「読書力」です。この本の最初にもあるように、読書というのは今はあんまりいい意味で受け取られない。趣味が映画なら、女の子も「まぁ」って言ってくれるが、読書じゃねぇ。「暗いんじゃない」ぐらいが関の山でしょう。けど、オレッチは他でも書いてるように本はかなり読んでます。「大地の子」をぶっとうしで全部読んだ時は18時間ぐらいかかったなぁ。「豊穣の海」もそう。「ローマ人の物語」は一冊ずつ読んでるから、あれをまた全部一気に読み直すのは流石にできない。


最近はアニメの優れた作品が数多く生み出されている。これは、文化としては非常に高度な技術が駆使されたものである。作品としての出来もいい。しかし、惜しむべきは、作品を作る側の想像力があまりにも発揮されてしまっていて、見る子供の方が、その想像力を享受するだけでお腹いっぱいになってしまうとうことだ。《中略》アニメ作品に慣れきった人たちの中に、本をほとんど読まない人も多い。言葉だけからさまざまなイメージをつくり出すことのできる、このイメージ化能力は、優れた映像作品が溢れている現代において、むしろ弱まる傾向にあるのではないだろうか。
「ベットをドキドキさせようよ」などイメージ化能力では、村上春樹のレベルを目指しているオレッチとしては、この文章は結構大事です。「受け側の自由度」という問題はもうちょっとちゃんと考えていいと思う。ただ、R&BにはまったのはPVからだから、中学の頃に集中的にPVを見たのはかなりイイ体験だった。だから、映像表現が無い方がいいという話じゃない。ただ、「文章を書くということは、文章を読むことの氷山の一角だ」と書いてるけど、それは結構同意してる。スポーツだろうが芸術だろうが、全ては、いいモノのインプットから始まる訳で、「いきなり自分のフィーリングをアウトプッ」トなんてことは考えない方がいい。それでモノになるのは10年に一人ぐらいだし、それに該当してると思える大バカがいるなら、ちょっと会ってみたいかも?!

じゃあ何故R&BのHPを作って、読書のHPを作らなかったというと、音楽は一本気だが読書は何でも読むから。読書のHPを作っても散漫するだけだしね。それに本当の側に本が来た事はない。村上春樹はかなり来るけど、あの人はやっぱりDeep親和性のある人だと思う。本人は「あの当時の一人っ子」というのを抱えているが、あの人の小説を貫く主題がそうだけど、もっとDeepな人が苦しんでる中で、有効な手助けが出来ない主人公の無力感があるから。このサイトを読み込む人もそう。Deepな人とDeep親和性の人がいると思うから。そして、本当にDeepな人は本を書く所まで自分の体験を昇華できないんじゃないかと思ってる。

本を書く事と歌を歌う事は、本を書くことの方がより客観的な俯瞰の視線を求められる

「自分は本当に何をしたいのか」、「自分は向上しているのか」といった問いを自分自身に向けるのは、時に辛い事だ。自分自身が何者であるかを内側に向かって追求していくだけでは、自己を培うことは難しい。タマネギの皮を剥くように、いくら剥いても何もなかったという気持ちに襲われることもある。読書の場合は、優れた相手の出会いがあり、細かな思考内容までが自分の内側に入ってくる と書いてるけど、この部分はそんなには同意してない。全員が剥いていけば、最終的には何も無い。けど、そこでもう1歩踏み込むと、自分自身が他者との交流の中で形作られてきた事が分るから。それに読書じゃなくても、音楽を聴くことでも出会いはある。ただ、読書と違って音楽の聴き方は様々だから、単になんとなく流してるだけでは出会いにならないけど。 って、あんまり人の揚げ足を取りたい訳じゃないです。

「私は本を読む時に、その著者が自分ひとりに向かって直接語りかけてくれているように感じながら読むことにしている。高い才能を持った人間が、大変な努力をして勉強をし、ようやく到達した認識を、二人っきりで自分に丁寧に話してくれるのだ。《中略》本のおもしろさは、一人の著者がまとまった考えを述べているにもかかわらず、言葉がその著者の身体からは一度切り離されているところにある。たとえば吉田兼好の「徒然草」を読む。兼好の身体はとうにこの世にはない。しかし、言葉は残っている。兼好の見事な論理と表現は、何百年の時を超えて、感情のひだも伝えるようにこちらの胸に迫ってくる。外国の著者の場合は、いっそうその感が強い。私はゲーテが好きで、ゲーテを自分のおじさんのようにも感じている。しかし、ゲーテと私とは時も場所も離れた関係にある。こちらから積極的に本を読まなければ、向こうから来てくれない。たずねていって話を聴く。そうしたゲーテの家の「門を叩く」という構えがなければ、出会いがおきない。ゲーテをおじさんと言える所まで読み込んだ所に感銘を受けました。オレッチもR Kellyとかは従兄弟のお兄さんだと思ってるが、門を叩くという感覚じゃない。道端で、誰も立ち止まらない中で、どうしても歌ってるから、誰か一人ぐらい聴かなくちゃって感覚(オイオイw  

読んでいると「そうそう、自分も実はそう考えていた」と思うことがよくあるが、多くの場合、そこまで明確に考えていたわけではない。言われてみると、それまで自分も同じ事を考えていたと感じるということだ。しかし、この錯覚は問題ない。あたかも自分が書いた文章のように他の人の書いたものを読むことができるというのは、幸福なことだ。なぜこの著者はこんなにも自分と同じような感覚をもっているのだろうか、あるいは、まさにこれは自分が書いたもののようだと感じる事さえ、私の場合はあった。BBSには何度かこのようなことを書いてくださったけど、それは運営者冥利につきるというもの。錯覚というよりも、単に歌の奥にある真の意味は一つであって、それを言葉に出来なくとも感じるからこそ、その曲を気に入るのだと思う。そして、オレッチは言葉にする事にかなり拘るタチだから。それについてはそのうちETCにちゃんと書きますそれができるのは、確かに本を読んだおかげといえば、それも理由の一つだと思う。ある線以上は聴き込んだ量で決まらない。それは心の重なり方を決めても、そこから言葉を生むことには至らないから。


で、どの本から読むのを薦めるか?になるんだけど、最近、小説は読まないんだよねぇ。というよりも小説は村上春樹しか読まない。「世界の中心で愛を叫ぶ」は「ノルウェイの森」以来の純愛小説のベストセラーらしいが、この歳で純愛小説もなぁ、、、って思った。藤沢周平の時代劇物とかは結構好きだが、若い人に薦める本かな? この「読書力」では、島崎敏樹「感情の世界」を勧めているけど、これは感情についてちゃんと考えたい人の必読書です。俺が読んだのは25歳の頃だけど、20歳以前に読めてれば、今の倍は伸びてた。そう思わせるだけの本。この本については以前に個人コーナに書いた


「読書力」には最後にお勧めの文庫が載ってるので、それを参考にすればいいと思います。個人的には白州正子の「白州正子自伝」は気になる。ココ・シャネルの本の次に女性へのプレゼントにいいかも。

それにしても、村上春樹の数多くの作品の中から「中国行きのスローボート」を選んだのは参った。その中でも「午後の最後の芝生」をピックアップしてる。それが凄くびっくり。こちらに書いたけど、オレッチも村上春樹の核はこれだと思う。そんな意味では齋藤孝と意見があって凄く嬉しかった。あの文章を書いた時は、この短編をピックアップするような変わり者は、俺だけじゃないかと思ったから。

ただ、「午後の最後の芝生」という短編には自分のスタイルを大事にする若者が出てきて好きだと書いてるけど、それは違うと思うな。これによって本当の意味での自分のスタイルが出来たんだよ。それがあの彼女の言葉で生まれてるんだよ。ぶっちゃけ他の人の村上春樹へのコメントはあまり気にしてない。自分の方法で読み込んで意味が出てくる実感があるから。ただ、綿谷りさは苗字を村上春樹の小説の登場人物から取ったという話だから、彼女が何をBestとするか結構興味がある。けど、男と女は違うかもね。

「僕はただこんな風に芝を刈りたいのだ」 という言葉が凄く印象的で。
突き詰めると、「僕はただこんな風にR&Bを聴きたいのだ」になる。
村上春樹だけは、ちゃんとまとめないといけない気がしてきた。来週、この部分を切りとって、追加して書きます。


最後に。
「小さい子は何度も同じ絵本を読んでくれとせがむ。それに付き合ってこそ初めて本好きになる」っていう文章をどっかで読んだ事がる。これにはかなり同意するんだよね。小さい子は大人と違って、一回聞いただけで全体像が捉えれる訳じゃない。一回目はクマさん、二度目はキツネさん、三度目はウサギさんの話と思って聞いて、最後の最後で全体像が分るって事だと思ってる。だから、何度もせがむのを拒んだら駄目です。本の好き嫌いのレベルじゃなくて、自身が本当に好きなのが何かについて分るのに苦労する人生になると思うから。小さいお子さんがいらっしゃる方は真面目に考えてみてください。ちなみに、うちのマザーに聞いたら「そうしたに決まってるでしょ」と答えるのがミエミエなんで、個人的には実証してませんが(爆



で、補足ですが、「本当にいい事は強制でもいいから繰り返して、身体レベルまで落とす必要がある。そして、大人は何を薦めるかに完全なる責任を持つ必要がある。創造性は基本が身体レベルまで染み込んだ後の話なのだ」こう書くと誤解する人がいると思う。どれだけイイコトでも無理やり強制的にやらせるのは親として失格です。子供が興味を持つようにちゃんと状況を持っていくのが本当のイイ親で、たとえ昔自分がやりこんでイイ意味が生めたとしても、強制するなんてのは糞以下だと思ったほうがいい。「ほう、お前も○○に興味を持ったのか。けど、お前のレベルじゃまだ早すぎる。え、何?どうしてもやりたい? じゃあ最低限これを○○回繰り返す必要があるぞ。それでもいいのか?」って一度、お前には早すぎるって言って、本人のやる気を逆にかき立てるのが、いい父親ってもんですわ。だから強制って言葉は違うね。 え、本人が興味を持たなかったらどうするって? そりゃ縁がなかったと思って諦めましょう。そんなもんです。それか、シュチュエーションの持ってき方が下手すぎたって事かな。

子供に何か薦める時は、奥さん捕まえた時以上に頑張って欲しいものです(爆 
女性なら結婚前に「こんな糞男はポイ」できるけど、子供は「こんな糞親はポイ」できないからねぇ。その子供の辛さを真面目に考えた方がいい。まあ、トイレに藤沢周平の文庫本が転がってたのはいい影響だったかな。故事成語辞典があって「臥薪嘗胆」とかを読んだのも、小学生ながらそれなりに楽しかった。けど、深い意味があったのでなく、単に置く場所が他になかっただけだったがw


ちなみに、将来、子供が生まれても(さすがに結婚できないとは思ってないw)このR&Bは絶対に子供、特に息子には薦めないつもりです。これだけの量を薦めたら反発するに決まってるしね。「お前は触るな」と言っておいて、たまにCDの場所が変わってたら、ちょっと微笑むw まあそんな位ですね。

ただ、親が切り開いた道を本人が何処まで頑張っても、「あんたは出来て当然」しか待ってないからなぁ。本人が自分でやりたい事を決めて、やりこめばいい。 結局、血レベルの遺伝なんて大したことない。本当に人を作るのはシュチュエーションの方が強いと思う。貧しい境遇から成功した社長の息子はドラになるのもシュチュエーションの違うから来る訳で。シュチュエーションってのは親子で正反対になるもんだと達観した方がいいと思う。そんななんなで、いつか誰かに継いで欲しいと思うようなシロモンじゃないが、もし継げる人がいるとしても、それは自分の子供じゃないと思ってる。

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