前向きな空しさ
[2003/09/06]

先日、仕事で受講生を連れて座禅に行ってきました。「社会人としてのこれからを考える」という趣旨で曹洞宗のお寺に一泊二日間。昔は、管理職になる前の必須講座だったらしいが、今年から新人教育の一環としてカリキュラムに採用されたので。 って、若い人が蚊が飛びまくってる山寺に行って、座禅だわ食事は正座だわ、不満たららな面もあるのだが、人生経験として一回ぐらいは悪くないと思う。なんでも日清食品ではカップラーメンだけもって無人島で過ごしてくる研修とかあるらしいが、そんな意味では他のハードな研修と比べると普通くらいなのかな?

で、昔から自分勝手に座禅してた自分としては結構楽しみな企画でした。って、そんなに大した話でもないんだよネ。座禅って言っても、はんかふざ(漢字が出ない・・・)なんて、あぐらと殆ど変わらないのだし、「1時間 体を動かすな」って言われたら、やっぱりこれが一番楽なんだよね。で電気を全部消して、ヘッドフォンしてガンガンにアルバムを聴く。それこそがR&B-Timeなのだから。それに、ずっと般若心教は気になってた。特に、「色即是空 空即是色」の部分は。そんな意味でも、公案を多用するという臨済宗よりも、しっかだざ(漢字がない)の曹洞宗の方に惹かれてたから、かなり楽しかったです。

「般若心教に出会ったのは、二十歳の頃かな。ナンパばっかりしてたけど、上手く行けば行くほどに空しくなってきて、、、、ああぁ色即是空だなぁって」とツカミのつもりで話したら、受講生全員が頷いたのには参った。相変わらず第1印象は人によって正反対で困る。その場は「大学時代に心臓手術で入院して、その時に祖父に勧められた」ってお茶を濁しておいたが。
もちろん和尚さんの講義の時間もあって、般若心教についても解説をしていただきました。ぎゃてーぎゃてーの部分はかなり受講生にウケてて、なんかそこら中でみんな「ぎゃーてぎゃてー」って言ってたぞw で、《色即是空 空即是色》の部分は、「物事は無であって、だから今を生きる」と言っていたのが凄い印象的だった。

ずっと自分は空即是色は《前向きな空しさ》だと思ってたんだよネ。「全ての物事には前向きと後ろ向きの態度がある。それは空しさでも変わらないと思う」ってその後に受講生に言ってました。全く、こんな事言ってるから変人だと思われるのだが、まあそんな講師が1人くらいいてもいいでしょうw 和尚さんが言ってた《今を生きる》と《前向きな空しさ》って変わらないと思うな。そして、言葉としてはこちらの方がいいんじゃねぇーかと思っちまうから、相変わらず悟りの世界は遠かったりするw

前向きの空しさって上手く説明できない。単に、《空色の絶望感》からHeavyさを抜くと、《前向きの空しさ》になる。
今までずっとHeavyさに喘いでいたのは何故だろう???と思うこともあるけど、二十歳を越せば全て自身の責任というのも確かなんだよネ。ただ、人生であっても恋愛であっても、突き詰めるとこれだけが残る。そして、前向きな空しさから笑顔を引っ張り出してくれる相手に出会うと、好きになる。そんな気がする色即是空・空即是色

なんで「そら」も「むなしさ」も同じ漢字なんだろうね。それはずっとずっと謎です。ただ、この二つが重なる地点に真の強さの源泉がある。MaryJ.は其処から力を得てると思う。今年の新作Love&LifeのUitimate Relationshipでみせた歩みは、空色の絶望感を恋愛で感じた事無い自分には未だ遠いです。あれだけ捧げた答えがどん底だったMaryJ.に比べると、随分と楽していたなぁ・・・って今更ながら分かった。そんななんなの今日この頃です。


もちろん境内の掃除もお寺の生活の一つなのだが、その間に講師はお代金を和尚さんに持って行くわけです。なんやかんや言っても和尚さんが住んでる母屋は椅子の上で生活していて、テレビもあってと当然現代風なのだが。そこで「君は仏教系の大学だったの?」と聞かれました。あれだけ色々和尚さんに質問してたからかな?? って、理論体系として華厳教とかやっぱり面白いんだよネ。大学時代は付属図書館の仏教コーナーの1区画を全部読破しようとしてたなぁ、、、、哲学や心理学に興味をもったのは純粋に兄貴の影響だけど、仏教も兄貴の影響があるかも。オウム事件でたたかれてた中沢さん?(いかん最近名前をよく忘れる)のチベット仏教の本とか兄貴の本棚から勝手に読んでたもんなぁ。


単に、「意味の意味」について拘ってたんだよネ。結局、全ての物事は突き詰めていくとそこに行く訳で、、、、けど「意味があるとはどういう意味か」なんて考えても答えは無い訳で・・・。そんなの誰もが最初に分かる話なのに、やっぱりそれが必要だった。それ位にはあの頃、研究に本気だった。って、結局はTommy Sims状態になったんだが・・・・人生はそんなものだと思う。そんな自分にとってR&Bは最後のケジメだった。だから民間企業に就職するのを決めた時から書き始めた。あの時が、2度目の空色の絶望感だった。本気で走った分だけ空しさとは言えなかったけど、それは当然かもネ。

結局、「意味の意味」を考えた結果が、「憧れを見つけてがむしゃらに追っかけましょう」です。人生はそれ以上でもそれ以下でもないと今は断言できる。憧れる人がいないなら、もっと外を見て、色んな事に首を突っ込んで、色んな事を体験すればいいと思うよ。

宗教に関して唯一思うことは、、、いくら親鸞が凄いとしても、妻帯はやめるべきだと思う。そんな宗教人がいるなら寄付してもいいと思う。お寺の食事の前には、「働かない私だからこそ感謝してなんでも食べる」みたいな意味のことを読み上げるんだが、突き詰める人は諦めなくちゃいけないことがあると思う。凡人にでも分かる位の覚悟がいる。まあ妻帯もセックスも禁すると、頭の中はその妄想だけになるのは確かとは思うのだが。やせ我慢なのは当然だけど、そこで格好つけられても困るけど、、「弱いから妻帯する」は無しでしょう。

確かに、あの頃は女性と付き合うことを横においていたつもりだったけど、結果としては有り得なかった、、、余計にどうしようもない形になっただけだったな。元々のアホさが誰の手にも負えないほどになっただけだった。
   
[2005/03]

こちらのニュースで ヒューストンが自殺未遂した事を知りました。麻薬に手を出していたってのはそこまでびっくりしないけど、自殺未遂を聞いたのは初めて。なんか考え込んでた。目をえぐり出すって、かなり行っちゃってるぞ。そんなにバッドトリップだったのかな。そういや19の頃に「LSDをして音楽を聴くと音に色がついた 世界が見える」って文章を見て興味を持った事がある。ビートルズのなんとかって曲はその状態で作った曲だって書いてあって気になってた。けど、それで麻薬する訳もないしねぇ。「座禅の先に見える世界と、麻薬で見える世界は同じで、麻薬はそこに他力で行くからヤバクなる。悟りを開くとそこと現実を自由に行き来できる」って文章を見て、なら座禅でもしてみよっかな?って気持ちになった。

けど、やってみれば分るけど、色んな思念が浮かんできて、まとまりがつかなくなる。だから、「ヘッドフォンして音楽聴くぐらいアリじゃないか?」と勝手に アレンジして、R&B-Timeとなった。 音楽を聴くことに集中すると、他の思念が浮かんで来なくて非常にナイス。それを突き詰めると、頭と心の真ん中で考えれるようになる。別にソファーに横になってリラックスして聴くのも全然アリだと思うけど、やっぱりその体勢では受動性が強いと思うんだよ ね。能動的な姿勢でやりたかったら、背骨は直立不動の方がいい。そしたら座禅の形が一番楽になる。若い時にヤクに惹かれるのは至極納得するが、その代わりに座禅でもする人が増えたら、もっと個人的に楽しくなるのだが。

けど、座禅に対して親和性がある人を集めて、オーム真理経は成り立っていたらしい。麻原は単なる詐欺師でなく、ある程度の修行をしたのは確からしい。その経験から弟子に対して、「この次はこういうイマジネーションが見えてくる」みたいなアドバイスを的確にすることで、がっちり心を掴んでいたって分析を 呼んだことがある。そんな意味では、「ちゃんとしたメンターがいないのに座禅をやっていても野狐禅になる」って書いてる本も読んだことがある。けど、寺にまで行くほどでも無い気もして、ヘッドフォンで音楽を聴くように変えちゃった。けど、ここには過去の偉大なアーティストというメンターがいるのだから、そんな意味では大当たりだったな。

「何で私には歩く力が乏しいのだろう」と悩む人もいると思うけど、考えてる時の姿勢には真面目に意識した方がいい。戦前みたいに「健全な肉体にこそ健全な 精神が宿る」っていう気は無いが、精神の姿勢と体の姿勢については大きな関連があって、だから姿勢フェチなのかもね。Deepかどうかでなく、向き合う姿勢が大事であって、歌うということは直立に属する。それがP2S2R&Bの結論。


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