---------------------------------------------------------------- 「失敗学のすすめ」畑村洋太郎著 p94-97 ---------------------- ■客観的失敗情報は役に立たない それでは失敗情報をきちんと人に伝達するには、どのような点に注意しなけれ ばならないのでしょうか。その方法を説明する前に、ある質問をすることにしましよう。 「そもそもあとで有効活用できる失敗情報とはいったいどんなものだと思いますか?」 こう聞かれると、 「それは客観的な情報のことです」 と答える人が、かなり多いのではないでしょうか。 たとえば、大きな事故や問題が生じた時、企業やこれを管理する行政が主導で特別チームを 結成して、第三者の客観的な視点から失敗原因をあぶり出すということをよくやります。 「失敗情報は隠れたがる」という性質を考えると、責任の所在を明らかにする意味ではこう した客観的な分析は確かに必要なことです。 その一方で、同種の失敗の予防、あるいは新たな創造を行う際の知識として使う失敗情報を 収集する場合、「客観的」と歓迎されるこのやり方では、実際に役立つ情報がなかなか集ま りません。 他人の失敗に学び、そこから新しいなにかを生み出そうと考えた時に、まず人が知りたいのは、 誰に責任があったかということより、失敗したその人がどんな事を考え、どんな気持ちでいた かという、第一人称で語られる生々しい話です。ときとして、この中には外部の人からはうか がい知ることのできない真の失敗原因が隠されていることもあります。だから当事者に自由な 気持ちで失敗を語らせることは、失敗情報を伝える上で大変重要なポイントになります。 たとえば、ある人が山で遭難したとします。その失敗を報告書にまとめると、第三者が客観的に 記述すれば、おそらくこんな具合になります。 「○月×日、入山から一時間後、出発地点から4キロ先にある分岐点に差し掛かった時、登山者は 不注意から選択を誤り、正規の道を外れてしまった。この日の気温は、標高800メートルの地点で 摂氏20度、湿度は65%。午前11時から一時間の雨量にして約10ミリ程度の雨が降り出し、雨具を持っ ていない登山者は雨に打たれるのを嫌うあまり、思慮無く森の中に入ってしまった。その後、雨が 止むのを待たずに、いたずらに森の中を歩き回っているという判断ミスを重ねたため、最終的に道を 見失ってしまった・・・」 客観的という名目のもとに、第三者が書いた報告書には、これとは別に、等高線が書かれた地図が 添付され、歩行経路が赤ペンでなぞられた上に迷ったとおぼしき地点に大きな印がつけられるくらい の事が行われます。さらには、補足データとして当日の天候など気象データの書類までつけられる こともあります。 一方で、自分が経験した失敗の一部始終を正直に書くという前提で遭難者本人に報告書をつくらせて みると、こんな気の利いた付録をつけようという発想もありません。せいぜいが自分が直接目で見た ものが記された手書きの地図が添付されるくらいで、時系列にしたがって当時の状況を主観的に再現 した報告書の中身は、こんな感じになります。 「○月×日、山へ向かう。早朝、家を出る時に妻から小言を言われ、気分がすぐれない一日のスタート となった。そんな気分を晴らしたいため、山道ではつい大好きな草花鑑賞に没頭し、一本道だったことも あっていつもは絶対に手放したことのない地図をよく見ずに歩いてしまった。暑さを感じ始めたころ、 ある分岐点にさしかかったが、一方の道はその場所から下っていたため、地図を開いて検討するとこも なく迷わず上りの道を選ぶ。しばらくすると夕立のような激しい雨が突然降り始めたので、これを避け る為に道を外れて雨がしのげる大木を探して森の中に入ったが、やみくもに歩くうちに方向がわからなく なってしまった。途中、森の中でキノコを見つけ、それに気をとられたのがまずかった。雨具を忘れた事を 心底後悔しながら、その後は雨が止むのを待てずに遊歩道を探しながら森の中を歩き回ったものの、数時間 経っても道を見つけることはできなかった・・・」 <中略> 客観的な情報は、一見すると優れたものに見えますが、経験者と同じ立場の人が見ても、残念ながらそこから 新しい何かを生み出すまでにはいたりません。身近な問題として実感できるのは、むしろ日記のように心理 状態まで克明に綴られた後者の記述の方です。人は自分と同じ立場に置き換えてそれを実感できたときに はじめて、「登山の時には必ず雨具を持参しなければならない」「分岐点では地図を見て道を確認しなければ ならない」「めったやたらに森の中に入っては危ない」というふうに他人の失敗から教訓を得ることができる からです。