BoyzIIMen
"Christmas Interpretations"
99%に喧嘩を売るけど、1%を救える"Why Chiristmas"
救いを求めるウンヤの叫び
[2001/12]

BoyzIIMenは常にみんなの為に歌ってきた
随分カッコイイ話ではあるが、確かに彼らは皆に聴いて貰うことを優先していた。だからこそビッグHITしたのだ。そんな態度は「良い子ちゃん」と揶揄される事もあったし、幼な目にもライバル:Jodeciの方がやんちゃな色気があった。けど、やっぱり彼らこそが一番、Motownの伝統である穏やかでジェントルなコーラスワークを継承してた。BoyzIIMenファンは売れた2ndよりもデビュー作を気に入ってるんじゃないかな。End of the Loadが収録されるまでのあのアルバムは、通の目をつける作品だと思うから。

このアルバムは、メガ・ヒットして日本の女性の半分が持つとまで言われた2作目の1年前に発売されたアルバムだけど、クリスマス・アルバムのくせに自身の方向性を優先してるのが印象的。普通に流す限りにおいては、カップルにピッタリなクリスマス・アルバムだし、王道路線とも言えるだろう。けど聴き込んで見えてくるのは全く逆の姿。まるで普段は皆の方を向くからこその本作とも思える。

高1の頃に発売されたから直ぐに買ったんだよね。それから何回聴いたか忘れたけど、あの頃からこれが特別な作品であるのは分ってた。「彼女がいなくて寂しいよ」の"Cold December Night"は妥当でしょう。全部がカップル向けってのも問題あるからねぇ。この曲の存在だけで、相手のいない男のハートをがっちり掴むのは間違い無い。

けど、Why Christmasは問題作だろうに。もちろん3作目などではオフィシャル・イメージを打破したいのか、それまでに無い歌詞世界があった。けど、こちらから見ると「ああこんなもんかぁ」と思ったのも事実。どうしてもJodeciと比べるとネ。そんな図工の時間のような問題作よりも、全てに喧嘩を売るようなWhy Chrisitmasの方が確実に上でしょう。

「どうしたんだよ、うかない顔して」
「いやこの時期になると毎年ブルーになっちゃうんだ」
「おいおい、今日はクリスマスだぜ」
「・・・ねえ、なんでクリスマスってあるんだろう」

って語りから始まる曲だから。

サビでは
「ママは出かけちゃって、僕らはおばあちゃんのところで寂しく過ごしてる。せめて妹にプレゼントを買ってやりたいけど、お金がない」「なんで、僕ら兄弟はこんな目にあうの?なぜクリスマスってあるの」だから。
母子家庭で育ったウンヤの体験がストレートに語られている。

この曲:Why Christmasが必要な子供なんて1%ともいないと思う。けど、明らかにこの世にはWhy Christmasと思う子供はいる。この歌を収録にあたって、他のメンバーはかなり逡巡したんだろう。それは最初のバックコーラスでの最初の"Why Christmas"フレーズを聴けば良く分る。このサビのやる気の無さといったら、滅茶苦茶だよ。そのバックコーラスを受けた後のウンヤは、1st Verseでの押し殺して淡々としたボーカルから一転して吼え始めるのがたまらない。


だからこそ俺はWhy Christmasと叫ばなくちゃいけないんだ!!
BoyzIIMenの歌詞世界で「僕」じゃなくて「俺」が合うのはこの曲だけのような気がするよ、、、、ここら辺からウンヤが吼えまくって、WhyWhyと捻りこみ始めるもんね。それでバックコーラスもやっと目が醒めたかのよう。やっと支えを受けたウンヤは哀しみを絞りだす。"No Toy" "My Sister"と歌いはじめる3:10台。ヘッドホンでガンガンに聴く1番の意味はやっぱりこのフレーズを追っかけたいから。

本当に大事な事ほど小さい声で語られる
村上春樹の本にもあったけど、これはやっぱりそう思うから。大きな声で言える間は大丈夫だよ、やっぱりさ。普通に流せば「ちょっと違和感」くらいですむ曲だけど、追っかけるほどに奥がある。それがたまらない。続くCould December Nightも同じテンションが持続してるからね。


Why Chiristmasを受けて輝く曲がWho wold have thought
この曲もよくよく考えればおかしい。「クリスマスに恋に落ちるなんて誰が思うのだろう」というスタンス。「伝わらないと自覚してるなら歌うなよ」位のいちゃもんつけたくなってくる。だけど確実にウンヤは救われたがってる。追いかけて行けばそれが良く分かる。彼は自分のクリスマスに対する態度がおかしい事は分ってる。「けど、俺はどうしてもWhy Christmasと叫んじゃうんだよ」

だからこそ、ウンヤはこの形でしか救われないんじゃないかな。「クリスマスに本気の恋に落ちる」という形じゃないと。滅茶苦茶だけど、これしか答えが無い世界。メンバーはそんな気持ちを汲んでると思うなぁ。だから、この曲を実質最後に収録したのだろう。曲の終わりのウンヤの歌いっぷりが切ないです。長すぎるほどに終わりが伸びるのが何よりの意志表示。


確かにクリスマスが近づくにつれて機嫌が悪くなる男が彼氏だったら、女の子は選ぶ男を間違えたかもって思うだろうなぁ。勇気をだして「クリスマスは?」って聞いたら「俺は嫌いなんだよ」って返事されたら。けどね、逆にそおいう時ほどチャンスなんだと思う。相手が心の扉を閉じた時ほど。そこで心の奥に滑りこめれば、相手の核は必ず掴めます。もちろん難しいのは心を閉じた相手に滑りこむ事だけどね。だから精神的な体重は絶えず可変にしなくちゃ。

ガンガンに削って滑りこむのが必要な時もあれば、
ガンガンに膨らませて包み込むのが必要な時もある

実際、両方出来る人はあんまり見た事ないけど、鍛えれば両方出来ると信じてます。

包み込んで溶かす時と、滑りこんで砕く時がある。
それは分かるんだけど、どっちが必要なのかは人それぞれの、相手それぞれかもね。唯一確実なのは、こんな話は解答はないという事。過去の事では済まないけれど、過去の事だもん。けど人間は自力で過去に出来ない話もあるからなぁ、、、もし、相手のそこを過去にもっていけるのなら、かなり大きな魅力だと思う。

じゃないと、ウンヤは同じ様にWhy Christmasと思う女性とじゃないと真の意味で一緒にいられないし、それは答えとしては2番目です。最近それをよく思うや。彼が彼自身をどうしようもないのはWhy Christmasでの歌いっぷりと、有り得ないと分っていながらも夢想してしまうWho would have Thougtで一目瞭然。きっと彼はクリスマスが来るたびに彼女と別れるような恋愛しかできないのだろう。それ位に袋小路に陥ってる。

Why Christmasの意味は歌詞カードみれば分る。けど、それを受けてのWho would have thougtという対応関係は今年(01)になって初めて気付きました。よくよく考えれば、当然の事なのにね。変な事歌ってるなぁ、、、ってずっと思ってた。別にクリスマスじゃなくても良いんじゃないの?って。あれから9年たって、やっと少しは進んだかな。

美メロやコーラスワーク、「ねーちゃんもにーちゃんも腰振って」なノリ、そんな入口ながらも、突き詰めると、こんな手触りの哀しみと叫びに辿り着く。やっぱりそこら辺がR&Bの魅力だと思う。


このウンヤを救える女性が日本に増えれば、個人的に楽しい世界になるなぁ。「クリスマスに恋に落ちる」なんてアホな事を夢想するウンヤにビンタ出来るくらいの女性になってください。それにはWhy Christmasでのウンヤのhou・アドリブの遷移は必須です、ぜひぜひ抑えて下さい。男の心情吐露が分るかると思うな。

Houって最初に使い始めたのはマイケル・ジャクソンなのかな?それともスティービーワンダーかな? このアドリブ結構好きです。やっぱりこれが随所にないと駄目っすよ。

0:50でのHouは自分自身を勢いづける為じゃないかな、やっぱりウンヤも歌う事に躊躇ってると感じるや。
3:10では随分哀しみの色がついてる。こんなHouは初めて聴きました。
3:16は消え入りそうな所がたまらない。こおいう全てがもがれた裸の状態って一瞬だけど訪れる。それに反応できたら恋愛はずっと上手くいくと思うよ


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