Only Seventeen

17歳、高2の頃、クラス文集に『僕が考えていること・思っていること』ってタイトルで書いてくれって頼まれた。

アンケート企画じゃ、うるさい人=1位、授業でマンガを読む人=1位、女装が似合う男=3位、尾崎な人=3位、兄にしたい人=3位、犯罪くさい人=1位、エンジニアになりそうな人=2位、大物になりそう=1位、尊敬できる人=2位、ほりの深い人=3位、赤いバラの似合う人=1位、リコンしそうな人=1位、AIDSな人=2位、Looks男=3位、遺伝子工学な人=1位、頼りになる人=3位、しきる人=3位、頭のキレる奴=1位、外人ぽい人=3位、サディスティックな人=2位、ナルシスト=1位、Going My Wayな人=1位、マザコン=3位、パソコン=1位、ハゲそう=3位、の「総合1位」という酷いのばっかり一位で、総合一位が嬉しいのか嬉しくないのか良く分らん位置付けでした(爆

「良く分らない項目は適当にあいつでいいや」って位置付けかな。けど、知ってる人は自分が独りで考えているのを知ってたから。頼まれたから、初めて書いてみたんだよね。そこそこ自信作だったのに反応は零だった。あれには結構ショックだったかも。今、読み直すと色々青い事書いてマス。しょうも無いことも書いてます。けど、根本的な志向性は何も変わってないかも。同じテーマでEtcで書いてたりしてるもんなぁ

「あいつはぶっ飛んでる」と認知されたのがいいことなのかは分らんが、あれ以来、外野が静かになった気がする。この文章だけで、客観的に伝わるのかどうかは謎だけど、これがあの頃の自分の核だった。これ以上は言葉に出来なかったです。


「顔」
10月に鏡が割れた。今までに机の上に置いていたものだ。本を読んだ後に鏡を見るのが好きだった。自分が少しましになったのが表情で分るからだ。

人の顔を見るとき、ほめるとき、僕たちはちゃんと区別をつけるべきだと思う。人の顔にはかたちと表情があることを。顔に対するほめ言葉・けなし言葉はこのふたつを明確に区別してないと思う。どんな人だっていろいろな表情を持っている。顔のつくり・かたちは確かに遺伝的要素が大きいし、その人の骨格・体型にも左右される。けど、完璧な顔のつくりの人なんかいないわけだし、もしいたとしてもそれはただの薄気味悪い人だと思う。ふつうの人の顔はある程度にまとまっているものだと思う。だから、鏡を見ていろいろいじくることよりもっと大切なことがあるんじゃないかと思う。プレッシャーなんてものは感じる人が悪いと思う。今ここに100万あるとして、いったいどれだけの人が整形に行くんだろう。そんなことしたって自分からは逃げられない。理不尽に自分に勝手にプレッシャーかけといて、それでいて感じる人が高い金だして行けばいいもんなんだ。

自分の表情をもっと磨くべきだと思う。リンカーンも「40過ぎたら自分の顔に責任を持て」といったが、もっと前から責任を持つべきだと思う。自分の表情は何をすれば深みがますんだろう? たぶん感動することだと思う。ひとりの人生で体験できることなんて限られている。だから本を読んだり、映画を見たり、音楽を聞いたりするべきなんだ。葡萄の実を収穫する時期が決まっているように、本だって読む時期があるんだと思う。人格形成したあとだと、嫌いな本の数は飛躍的に増える。だからいろいろ試せるこの時期にこそ幅を広げておくべきだと思う。
    
ナルシスト
中学のとき英語の教材でナルシストがでてきたとき以来なんだかあだ名にこそならないが、定着してしまった気がする。本人としては、何故そうなのかということ自体、いまいち分らないんだけど。ナルシストじゃないことはないんだろう。けど僕は自分で自分のことを認めているだけなのに・・

他人に認めてもらうのってかなりむつかしいし、まして理解されるのは不可能だろ。だからまず自分で認めて、自分で自分を理解しようとするのは当たり前なんじゃないのかな・・。それに理想の女性像、男性像がいること自体うん臭い。あんなのは自己願望のいちばん犯罪臭い形で、白馬の王子様なんて存在すらしない。そんなん求めるより前に、まず自分自身が理想の男性・女性になるように努力すべきだろう。
本人さえ嫌いなのにいったい誰が認めたり、好きになるんだろう。
   
「日記」
実は日記をつけている。意外といわれるんだが、つけはじめてもう三年分ぐらい、大学ノート四冊目に入った。日記といっても毎日書いてる訳でなく、多くて週に2回ぐらい、中学のときは月に2回ぐらいだった。別に大したことを書いている訳でもない。思ったこと、感じたことを書いているだけなんだけど。

何故書いているかは自分でも良く分らない。
けど自分なりの考え方は日記をかいているうちにまとまるし、はっきりしていく。漠然としたものを考えるときに考えていく。「別にはっきりさせなくても」とも思うけど、自分を動かしてる、たまに自分でもコントロールできなくなる気持ちを自分になりに理解したいと思う。自分自身に責任を持つべきだと思う。理由がないように見えることでも一年後に冷静になって見れば、いろいろ分ってくる。

自分が好きになれる人の数もかぎられているんだし、時間はいつでも過ぎていく。そのとき何も見えなかったからといって無駄扱いにするには、あまりにも人生は長くないし、やり直しもできないと思う。そんなに劇的なことをしてるわけでないし、華やかでもない僕はせめて身の回りに起ったことを、自分なりに理解するように努めて、自分を探して、何も実のない人生を送っている中にも、自分だけには責任をとりたい。

書き始めたの中1の5月6日 「天空の城ラピュタ」をテレビでみて感動したとき。僕はまた見たときにまた同じくらい感動できるのかとふと考えて、一日中悲しかった。感動できないならせめてこの気持ちを書いておこうと。

いろいろ失って大人になっていくけど、失ったぶんだけ新たなものを見つけているんだろうか? 僕はたまに悲しくなるんだ。
    
「勉強」
昔から、あまり勉強は好きじゃなかった。疑問があった。いや、ただやりたくなかっただけかも知れない。けど「めんどくさい」を除いたときに、本当にやりたくない理由なんてよく分からなかった。いわれるままというか、流されたいような気がする。テストでいい点をとるのはうれしかった。けどそれだけ求めていていいのかも自信がなかった。高校受験の、部活が終わって8月から入試の時までに知りたかった。なぜ勉強するのか。自分自身で納得したかった。できたら勉強する事がもっと楽しくなるのに・・と思ってた。結構考えたつもりだったけど、分からなかった。

ゲームばっかりやっていた。過去問も全部終わらなかった。
いつのまにか何故ゲームをやっているんだろうと考えた。今ゲームをやるべきだとおもった。塾の後はいつも友達とゲーセンに行った。自分はあのとき逃げていたのか、今でもよく分からない。だから僕は何も分からなかった。自分で納得できる最小限の勉強をした。たまに「分からないから勉強するしかないな。すれば分かるかどうかしらないけど、しないよりましなのかも。分かるのは勉強をやって、やって、通りこした人だけかな。」と思った。

受験の時、昼休みに校庭にでて、友達と一緒にひなたぼっこしてた。天気がいい日だった。太陽が輝いていた。2月なのにぽかぽか暖かかった。そのとき何かわかりかけたんだけど・・逃がしてしまった。

だから最近、また漠然と考えながら勉強している。
勉強について考えるのは、まだ遅くないことを祈りながら・・
    
「将来」
10年後、いったい自分はなにやってるんだ と ときたま考える。けど何も分からない。そんなこと考える事自体ばかばかしくも思えてくる。たぶん現代社会は価値観の多様化のせいか、人生における美学がなくなってきていると思う。仮にあったとしても、なにかしら心を動かされない。昔は葉隠武士道はいかに死ぬかを追求していたけど、今の時代、何故混迷しているような感じを受けるかというと、人生における絶対的な評価基準がないからだと思う。
万人に認められるような夢も存在しなくなってきていると思う。

とかいって、こんなことが自分の将来についてあまり考えていないというか、夢を追いかけていない理由になるかどうかは知らないけど。夢ってさ見さしてくれない社会が悪いんだろうか、見ない個人が悪いんだだろうか、そんなことさえよく分からない。
話がそれた。 とにかく、夢がないわけではないけど、口でいえるほど何かしているわけではありません。根本的に臆病なんじゃないのかな、と自分でも思ったりする。

同窓会の時、大谷に通っている同じ中学の友達が、高校卒業したら小さいカレー屋さんをやろうかなといった。ものすごくうらやましかった。
   
あと「運命」と「神」と「愛」があるんだけど、さすがにここに移すの疲れた(爆
あまりに上段から書いているので、まあよく恥ずかしくも無く書いてたもんだよ、、、、と、あれから8年たって思う。そりゃR&Bに入れ込んでるのだから、Destiny,Lord,Loveは絶対に外せないと思ってましたw ここまで突込み所満載でいいのかしらんと思うけど、これがストレートな17歳の頃でした。あれから色々あった人生だけど、振り返って、あまりに出来事が多くて(少なすぎて?) よく分からないです。二十歳より前に死ぬもんだとばっかり思っていたので、なんか妙に不思議だったりするなぁ・・・